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「グレない人」と「元不良」どっちが偉い?

どっちが偉い?―「グレずに真面目を貫く人」と「更正した不良」

 どうにも手のつけられない不良が、立派に更正するストーリーは人々の心を打つ。

 だがちょっと待てよ。一度もグレることなく真面目にやっていた人間を差し置いて、賞賛されるのはおかしくないだろうか? 誠実な真面目くんは何の評価も受けないのに、散々周りに迷惑をかけてきた不良はただ真面目になっただけで褒められるのでは、あまりに不公平というものだろう。

■やっぱり元不良はもてはやされる

2ちゃんねるの『いいかげん 「更生する不良」 を美化するのやめろよ』というスレッドにも不良礼賛の傾向に対する批判的な意見が寄せられていた。

「更正した所でそれが当たり前なんだから」

「ドラマでも漫画でも最初から真面目だった奴はクズ扱いされてるよなwww」

「ドラマって何故か正論言う教師と生徒が悪みたいになるよね」

「我が校に不良はいりません!」とか正論じゃん」

どれも、うなずける意見ではある。

■なぜ元不良がもてはやされる?

 また、なぜ元不良が礼賛される傾向があるのかという理由を述べた書き込みもあった。

「そもそも不良になるようなクズ野郎なんだから そこで褒めとかないと、また不良に戻っちまう」

「真面目な人間がたまに悪いことをした場合と、いつも悪いことをしている人間がたまにいいことをした場合後者の方がいい印象を与えるものだ」

たしかに、更正したことを褒めておかないと、現在進行形の不良たちに、真面目になるインセンティブがない。またドラマやコミックなどのコンテンツも、不良が更正する話なら感動や興味を誘うのだろうが、ずっと真面目にやってきた人の真面目な話じゃ、文字通り話にならないことが多いのだろう。「ヤンキー先生」が有名になったのは、過去の素行とのギャップに負うところも大きい。

■真面目は損か?

 例えば、不良になったのが本人ではどうにもならない環境要因に拠るものならば、更正したのは偉いと言えるかも知れない。「同じ環境でも真面目にやってる人はいる」という反論はあるかも知れないが、そういう人はもっと偉いということでいいのではないだろうか?





 ただ、不良になった理由はどうであれ罪のない他人に迷惑や危害を加えていい理由にはならない。元不良がどんな不良なのかを見極めないで更正したことを無条件で肯定的に描くのだとすると、正直者が馬鹿を見ることにもなりかねない。

 また同時に、真面目を続けることの、素晴らしさを説くことができないどころか、肩身が狭いとさえ感じさせてしまう世の中はまずいだろう。不良に限らず、自分がいかにダメ人間、変態、悪人、狡猾、性にだらしないかを皆が「自慢」したがる現在の状況は、明らかにバランスを欠いている。もしかすると非モテの肩身が狭いのは、倫理的なせいかも知れない?![非モテタイムズ]

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