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テレ東が大スクープ!日本財界のフィクサー許永中にTV初取材『ガイアの夜明け』極秘舞台裏

テレビ東京が、戦後最大の経済事件となったイトマン事件(1991年)で特別背任などの罪に問われた“財界のフィクサー”こと許永中氏(70)のテレビ初インタビューに成功した。

26日放送の「ガイアの夜明け」(火曜後10・00)の1時間半スペシャル「追跡!マネーの“魔力”」で放送される。肉声が世界に流れるのも初といい、大きな注目を集めそうだ。

番組チーフプロデューサーの野田雄輔氏(47)が企画意図、隠語を使うなどして局内でもトップシークレットで進められた取材の舞台裏を明かした。

今年11月下旬、ソウル市内。シルクハットに、黒いコート…。指定の場所に現れた許氏の第一声は「アンタら、東京から来はったの?」。取材クルーをグルッと見回す。

「何でも聞いてください」。“裏経済の帝王”という異名とは裏腹に、フレンドリーなおじいさんという印象。しかし、約4時間に及んだインタビュー中、許氏の眼光が鋭く光る瞬間が何度もあった。

中堅商社の旧イトマンから巨額の資金が流出した「イトマン事件」。約3000億円が不正取引の上、闇経済に消えたとされる。

イトマンに絵画取引を持ち掛け、商法の特別背任と法人税法違反(脱税)の罪に問われた元不動産管理会社代表が許氏。2005年10月、最高裁第3小法廷は上告棄却を決定。懲役7年6月、罰金5億円の1、2審判決が確定した。

12年末に本人の希望により、服役中の栃木・黒羽刑務所から韓国に移送され、13年9月にはソウル市内の刑務所から仮釈放された。


仮釈放された許永中[2013]

仮釈放後の動向は不明。現在はソウルの名門・高麗大学と組み、介護に使う新製品の開発などにベンチャー投資をしているという。

今回はイトマン事件、フィクサーと呼ばれた自身の生い立ち、バブル時代に経験した“カネの魔力”などについて激白した。

イトマン事件の時、許氏は43歳。

「43歳で、私は今でも(時間が)止まっているんです。頭の中が止まっているんです。あの時代というのは、私にとってはつい1週間、1カ月前の時代です。私の中では43歳の時のあの事件で、私の体内時計は止まっているんですよ」――。

許氏へのインタビューを企画した理由について、野田チーフプロデューサーは

「今年、2017年はアベノミクスの効果もあり、株価・不動産価格が上昇しました。あのバブルの時代を思わせる現象が、いろいろありました。そして、平成の時代が終わる見通しが立ち、この約30年の日本経済を俯瞰する番組を年末に制作したくなりました。

『追跡!マネーの魔力』というタイトルだけがずっとあって、何を、どう取材するかは取材班のネタ待ちだったんです。その時、番組でよく取材させていただく大企業の社長とかではなく、裏も表も知り尽くした“怪物=モンスター”みたいな人を取材できないかなと思っていました」と説明。

同僚ディレクターの1人が極秘に許氏サイドと接触を取っており「そこで、ビビッときましたね。この平成約30年の経済史の中で、最も闇に包まれ、何かをカネの力で動かしたであろう“怪物”。

番組テーマの『追跡!マネーの魔力』にふさわしいと判断して、一気に取材に動き出しました」。今年8月頃から番組特務取材班と同局報道局がタッグを組み、粘り強く交渉。

「われわれもダメ元というのが、本音でした。ただ、約4時間に及んだインタビューの長さからも、許氏には今だからこそ、日本の皆さんに対し、語りたい何かがあったのだと推察されます。

あとは、平成バブル時代を振り返り、マネーの魔力を追跡するという番組趣旨が刺さったのでしょうか。許氏自身も日本経済の大きな節目を感じたのかもしれません」と取材OKが出た要因を振り返った。

大スクープだけに「最も気を使ったのは情報管理です。他局に察知されて、取材の後に交渉され、ニュース特集などで先出しされるのを、最も警戒しました。また局内でも、この件は私を入れて3人くらいしか知りません。

『K』という隠語を使って会話していました。また、番宣が流れる前の局内説明資料などは、すべて回収してシュレッダーにかけ、徹底しました」と“厳戒態勢”ぶりを明かした。

撮影にもこわだり。番組史上、カメラマン歴が最も長いベテランを配置し「『許永中』という平成の怪物とカメラを通して向き合った息遣いが伝わってきます。

許氏の言葉、その間の一瞬の表情を逃さないように対峙したカメラワークも、ぜひ留意してご覧ください」と呼び掛けた。

最も印象に残った許氏の言葉は「(日本人は)おカネに負けている人が多いからね。カネさえあれば、極端な話、この世で、できないことはない」。

野田氏は「これは一見、誰でも言える分かりやすい言葉です。が、許氏が言うと、全く意味合いが違います。戦後最大の経済事件で、3000億円が闇に消えた。政財界のフィクサーとして許氏を頼りにする人も多かった。

この言葉は何を意味するのか?この平成約30年の経済史を知る上でも、ますます取材したくなりました」と再インタビューに意欲を示した。

許氏のテレビ取材に成功したのは今回が初。

「映像の持つ力、その価値を改めて感じています。新聞・雑誌にはない、テレビが、動画のみが持つ絶大なインパクトです」とスクープの意義を語り「視聴者の皆さんに、財界のフィクサーとも呼ばれた男の、これまで聞くことのなかった『肉声』、見たことのなかった『容姿』を初めて視聴していただきながら、この年末に平成約30年の日本経済とは何だったのか、思いを馳せていただければ幸いです。

また、インタビューだけでなく、本邦初公開の許氏の生い立ちから今までの写真も入手し、さらに分かりやすく構成しております。

経済報道番組を標榜している以上、テレ東らしくお金にまつわるエピソードも追加取材し、許氏の知られざる秘話満載で構成しております」とアピールしている。

[via:スポニチ]
http://news.livedoor.com/article/detail/14080706/


許永中 プロフィール
(ホ・ヨンジュン、きょ えいちゅう)
生誕:1947年2月24日(70歳)
   大阪府
職業:1実業家、元大淀建設社長

「日本財界のフィクサー」といわれた在日韓国人である。

日本では、戦後最大の経済事件と称されるイトマン事件で逮捕・起訴され、実刑判決を受けている。

通名は野村永中(のむら えいちゅう)あるいは藤田永中。

生い立ち

大阪市大淀区(現・北区)中津の在日韓国人地区に生まれる。1965年3月に大阪府立東淀川高等学校卒業。1965年4月に大阪府立大学の入学試験に失敗し、大阪工業大学に入学。大阪工業大学では柔道部で活躍するも、麻雀とパチンコに熱中し3年で中退した。

大阪工業大学中退後は、不動産広告業者の秘書兼運転手として働く傍ら、経営について学んだ。同じ頃に日本人女性と結婚する。なお、「藤田」とはこの時の結婚相手の姓である。

「フィクサー」

部落解放同盟の幹部と昵懇になり、大阪府の同和対策事業に食い込む。

ベンジャミン・フルフォード著『ヤクザ・リセッション』によれば、許自身は在日韓国人であったものの、許の生まれ育った中津では被差別部落民が強大な権力を握っていたので、彼らと懇意になることによって許は裏社会での出世を実現したという。

また、第二次世界大戦後最大のフィクサーの1人といわれた大谷貴義にボディーガード兼運転手として仕え、フィクサー業の修行をした。

1975年に休眠会社だった大淀建設を買収し社長に就任した。その後、暴力団山口組の宅見勝などとも関係を結ぶ。

1984年、日本レース株買い占め事件で注目を浴びる。また全斗煥韓国大統領の実弟とも交友関係を持ち、韓国政界にも人脈を持つ。

「イトマン事件」

平成期初期のバブル景気時に発覚した日本の戦後最大規模の経済不正経理事件と言われる「イトマン事件」で、イトマンを利用して絵画やゴルフ場開発などの不正経理を行い、1991年7月23日に商法の特別背任、並びに法人税法違反の罪で逮捕された。

起訴された後、6億円の保釈金を支払い保釈を受けた(許自身が3億円を負担し、残り3億円は弁護士団が負担した)。

逃亡

1997年に妻の実家の法要を理由に裁判所の旅行許可を得て、9月27日から10月1日までの予定で韓国に出国。宿泊先のソウル新羅ホテルで倒れ、同市内の延世大付属セブランス病院心臓内科に入院した後に逃亡。

保釈を取り消されて6億円の保釈金は没取された。2年後の1999年11月5日に東京都港区のホテル・グランパシフィック・メリディアンで身柄を拘束されるまで国内外で潜伏を続けていた。なお、逃亡中に韓国に渡っていたとの証言もある。

なお潜伏中にも、日本国内で亀井静香や田中森一、松井章圭と会っていたと言われ、亀井はそれを否定しているものの、田中は自書で、松井は週刊誌で会っていたことを認めている。

現在

2012年12月、母国韓国での服役を希望し、国際条約に基づき移送されていることが判明。これにより日本における特別永住者の立場を喪失した。

刑期満了日は2014年9月だが、その1年前の2013年9月30日にソウル南部矯導所より仮釈放された。

人物

身長180cm、体重100kgの巨漢で、スキンヘッドがトレードマークであった。

多くの政治家や暴力団、大企業と関係を持っていたとされており、株買い占めや会社乗っ取りなど大型経済事件が起こるたびに背後にその存在が取り沙汰されてきた。亀井静香とはお互いに「兄弟」と呼び合う程親密な関係であった。

これらの関係を結ぶことで「闇世界のフィクサー」「地下金脈の大物」と呼ばれた。

「百万なら人は断るが、一千万なら受け取ってしまう」という、つまり相手の予想を超える金額を示し人を動かす手法で暗躍した。一説には、10億円をその場で差し出し迫ったこともあると言われた。

松井章圭と深い関係にあり、大山倍達死後に極真会館松井派の大会のスポンサーになったこともある。

[via:https://ja.wikipedia.org/wiki/許永中]

ネットの反応

・池の水抜いたら許永中が居た!
・これは見たいわ。
・テレ東飛ばし過ぎだろw
・ガイアの夜明け攻めまくってるなあ。
・まさかの時代はテレビ東京の時代に
・嘘ばっかりいってそうだけど見る価値はありそうだな
・この人は高校時代から有名だったんでしょその筋では
 でも本当のワルは逃げ切ってるんでしょうなあ
・逃亡中に亀井さんと会ったかを是非聞きたい
・韓国の刑務所に移りたいよーって言って移れるんだ…
 >受刑者移送条約で本人が希望して法相が認めれば出来るらしい
・人たらしだったらしいな
・東淀川高校卒でaikoの大先輩なんだよなw
・やってくれたな視聴率がもし低くても
 各テレビ局も注目だろう放送する意味は高い
・許永中まだ生きとったんかい
 というか意外と結構若いんだな
・ずいぶん昔の人のような気がしていたけど、戦後生まれなんだな。
・民放各社が腫れ物のように扱い方に苦慮していた人物
 どんな内容か興味あるな
・この人コネはあっても金は大して持ってなかったらしいけどね
・もう日本に戻って来れない。そこは評価する。
・宅見勝も田中森一も故人だよな。存命中なら言えないことだらけだろ。
・松井館長が大山より尊敬してる人物
・韓国で行方不明になったあとどうやって密入国したんだろう

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