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宮里藍 起死回生バーディで決勝Rへ【引退】松山英樹も米トップ選手も憧れるロールモデル

起死回生バーディで決勝Rへ

<サントリーレディス>
六甲国際ゴルフ倶楽部

突然の引退表明後、初めての試合。兵庫県の六甲国際ゴルフ倶楽部で開催されている国内女子ツアー「サントリーレディス」の第2ラウンド。

引退発表後初戦の宮里藍が2バーディ・2ボギー・1ダブルボギーの“74”でフィニッシュ。トータルイーブンパー50位で何とか決勝ラウンドに進んだ。

ラウンド後のインタビューでは「気力体力、全て使い切りました。それくらい大変な一日だった。何とか週末まで行きたいという強い思いが、17番のバーディにつながったと思います」と、笑顔で話した。

[via:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170609-00000009-alba-golf]

松山も米トップ選手も憧れた
宮里藍というロールモデル

「藍ちゃんだ、藍ちゃん!」

松山英樹が発した無邪気な声を今も覚えている。

2014年6月、ノースカロライナ州のパインハーストを舞台にした全米オープンは、史上初めて男女が2週にわたって同じ会場で行われた。

先に開催された男子大会を終えた松山は翌週も当地に残り、全米女子オープンの初日に日本選手の応援に駆け付けていた。

宮里藍が17番ホールをプレーしていた時のこと。パー3のグリーンを取り囲む、大きな傾斜を持ったフェアウェイからパターでアプローチをした彼女を見て、思わずうなった。

「あそこで迷わずパターを握る判断がすごいなあ……」

松山は青いフレームのサングラス越しに嬉々としていた。

「藍さん」でもなく、「藍先輩」でもなく、「藍ちゃん」を観て。

当時すでに活躍の場を海外に広げていた彼も、宮里藍のビッグファンのひとりだった。

宮里藍の登場後、日本女子ツアーはブームとなった。

あれから3年。宮里が今シーズン限りでの引退を電撃発表した。

アマチュアとして出場した高校3年生時のミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンから日本ツアーで15勝(プロ14勝)。米ツアーに主戦場を移して通算9勝。2010年には世界ランキング1位に立った。

プロ転向前の2003年、日本女子ツアーの1試合あたりの平均来場者数は9383人だった。宮里のプロ1年目、5勝を挙げた’04年は1万908人とわずかな伸びだったが、その翌年に試合が前年比2試合増の33試合となり、平均来場者数は1万5808人と約1.5倍に膨れ上がった。盟友・横峯さくらがシード1年目で2勝を挙げた’05年のことだった。

以降は2009年の1万7794人を最高値として、平均1万4000人前後で推移。今年は5月の中京テレビ・ブリヂストンレディスまでに平均1万7500人を記録している(日本ゴルフトーナメント振興協会のデータによる)。

中継用のカメラ、記者も注目選手に張りつくように。

宮里の登場で、コースでは中継用の専用カメラが特定の選手に張り付くようになった。スチールカメラマンや記者の間でも、ひとりの注目選手に対して、18ホールのプレーをつぶさに追うという取材方法が通例化した。

“藍・さくらフィーバー”で平均10%前後だったテレビ視聴率はここ2年、多デバイス化の流れもあってか、平均5%台と低下傾向が見られるものの、当時に端を発した「女子プロは生で観る」という価値観は揺らいでいない。

何より32歳でキャリアにピリオドを打つヒロインの功績は、数字だけで表現できるものではなかった。

「フィーリング」「リズム」の表現に込められた信念。

宮里はラウンドを終えて自身のプレーを振り返る際「フィーリング」や「リズム」という言葉を幾度となく使ってきた。

「きょうはショットのフィーリングが良くなかった」

飛距離や正確性ではなく、フィーリング。どこか曖昧で、頼りないこの横文字は、ともすれば技術不足を覆い隠すためのエクスキューズにも聞こえなくもない。

しかし、ゴルフは対戦相手とのボディコンタクトがなく、誰にも邪魔されることなくプレーできるが、好スコアを生むためには、選手が持つ飛距離と正確性だけではどうにもならないことが多い。

それはパワーで男子に劣り、ボールが高く、遠くに飛ばない女子選手にとってはなおさらだ。心を整え、幸運と不運と付き合いながら自然と寄り添い、目の前のタスクを処理して、また自分と向き合わなければならない。

かつて東南アジアでの試合で宮里は「ゴルフはアジアの選手に向いている。体格では欧米の選手に劣っても、私たちは落ち着いて、冷静に物事を捉えることができる」と説いたことがあった。

「調子が上がってくると自分の中で『上に行きたい』という気持ちが出てくる。それをどうバランスよく、いいイメージに変えられるか」

「きょうはきのうほど湿度の高さを感じなかったので、グリーンでよくボールが転がった」

五感をフルに使い、メンタルトレーナーとの共同作業で培ったフィーリングの操作は、宮里が世界に誇る戦う術だった。

米ツアーを転戦後、日本での試合に出て話したこと。

ジュニア時代に全米女子オープンを制する夢を描き、渡米した。海外では体格差はいっそう歴然となり、フィーリングに頼る比重はもちろん大きくなった。

2009年、フランスでのエビアンマスターズ。本格参戦から米ツアーで勝つまでに約4年かかった。厳しい環境に身を置いたまま、数々の苦難を乗り越えて悲願を成就させた。

キャリア晩年を迎えつつあった数年前、宮里は一時帰国して出場した試合の大ギャラリーを見て「日本の女子ゴルフの人気を感じる。毎週この雰囲気でプレーできるなら日本のゴルファーは幸せです」と感慨深げに言っていた。

米国と日本では男女ゴルフの人気に逆転現象が起こって久しい。米女子ツアーは高額賞金と名誉がかかる大会揃いとはいえ、人気面で男子に大きく水をあけられている。

宮里であっても、観客をほとんど引き連れることなくプレーすることが珍しくない。米国の厳しさは、選手やコースのレベル云々でないところにもある。

「彼女がどれほど米国のゴルフ界を盛りたててきたか」

何度もタイトルを争った元世界ランク1位のステーシー・ルイスは、宮里引退の報を受けてこう語った。

「彼女がどれほど母国のゴルフ界を盛りたててきたか、影響の大きさは言葉にできない。たくさんの日本人選手に(米ツアーへの)扉を開いた。

他に(日本人選手が)ほとんどいない時期に海を渡り、素晴らしいプレーをしてきた。一緒にプレーをするのが大好きだった。みんな、さびしくて仕方がない」

自身が爆発的な人気を呼んだ日本女子ツアーにいれば、宮里は女子高生プロ出身のアイドル然とした扱われ方が、約束されていたに違いない。だが彼女は、そこに浸かることなく毅然とアスリートとしての道を進み続けた。

その生き方自体が、人種や言葉の壁を越えて多くの尊敬の念を集めた。

宮里と同世代、若手ゴルファーたちはどうとらえる?

残されるのは彼女を目指した選手たちだ。32歳で引退というキャリアの幕の引き方も、女子プロの人生設計においてロールモデルになるかもしれない。

同い年の横峯をはじめ、そんなフロンティアスピリットを持って米国に挑戦した大山志保や上原彩子は宮里よりも年上で、上田桃子も6月に31歳になる。有村智恵は29歳、宮里美香も27歳だ。

同じ環境に身を置く若い野村敏京、畑岡奈紗といった選手にも強い影響が及ぶことは言うまでもない。

宮里藍が残した数字に留まらない功績は、今後どう受け継がれていくだろうか。

[via:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170601-00828176-number-golf]

憧れ宮里藍を自身コーチに

宮里藍の引退を受け、松山が素直な気持ちを言葉で表した。昨年から引退のうわさを耳にしていたものの「発表があって、本当だったんだ」と驚いた様子。

「世界一にまでなった人。あの人にしか分からない悩みがあるから、僕とかがコメントするようなことはできない」と言葉を選びながら、憧れの人の気持ちをおもんぱかった。

東北高ゴルフ部だった宮里藍に対し、6つ下の松山も東北福祉大に進んでゴルフを学んだ。ともに仙台で修行し、アマ時代にプロツアーを制した共通点もある。

初対面は11年ミヤギテレビ杯ダンロップ女子のプロアマ戦で「緊張して話せなかった」。帽子、ボール、グローブと「サインは3つ持っている。どんだけファンやねん」と笑顔。大ファンで家に飾っていることも包み隠さず明かした。

米ツアー参戦後も試合をチェック。14年は全米オープンの翌週に残り、同じ会場で開催された全米女子オープンの応援に出向いた。宮里藍に手を振られた話題には「1番ホールでね」と照れ笑い。

今回の引退会見の内容も把握し、コーチの父優氏からメンタルコーチ転身を勧められたことにも触れ「一番最初にお願いしようかな。そうなったらパッティングコーチにもなってもらう」と希望した。

[via:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170602-01833596-nksports-golf]

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