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可夢偉 亜久里との勝負から14年後に

遡ること14年前。当時12歳だった少年は、あるテレビ番組の企画で日本人として初めてF1の表彰台に上がった鈴木亜久里とカートで対決した。少年の名前は小林可夢偉。

当時のカート対決写真
当時のカート対決写真

「レースで一番楽しいのは、バトル。10年後の夢は、F1ドライバー」とテレビカメラの前でモータースポーツへの熱き思いを語った可夢偉にとって、日本GPで3位表彰台に登壇していた亜久里は、神様のような存在だった。

その亜久里との対決は、1周目から激しいバトルが展開された。スタートからリードしていた可夢偉は、亜久里に何度もオーバーテイクされそうになりながらも必死に防戦。なんとか逃げ切って勝利を収めた。レース後、亜久里は笑顔で可夢偉を讃えた。

鈴木亜久里

「もう少し考えてレースができるようになれば、もっと速くなるよ」

褒められたにもかかわらず、少年の顔に笑みはなかった。逆に瞳は涙で潤んでいた。「(亜久里さんに)遊ばれとった」と。

可夢偉にはわかっていたのである。亜久里はオーバーテイクできなかったのではなく、あえてしなかったのだ、と。

小林可夢偉

■亜久里が見守る中、日本GP決勝に臨んだ小林可夢偉。

2012年の秋。2人は鈴鹿でカートではなく、F1マシンをドライブしていた。

しかし、直接バトルすることはなかった。なぜなら、亜久里が乗ったのは今から22年前の’90年に表彰台を獲得したときにドライブしたラルースLC90・ランボルギーニ。鈴鹿サーキット50周年の記念のイベントとして、ファンの声援を受けながらサーキットを1周しただけだったからだ。

その約2時間後。可夢偉は愛車ザウバーC31に乗り込み、亜久里が見守る中、日本GP決勝レースに臨んだ。レースはオープニングラップから手に汗握るバトルが繰り広げられた。

ジェンソン・バトン

相手はジェンソン・バトン。

2人がバトルを演じるのは、これが初めてではない。2人の戦いは、可夢偉がF1にデビューした’09年のブラジルGPから始まっていた。

■可夢偉のザウバーC31よりバトンのMP4-27の方が速い!

’09年のグランプリはバトンにとってタイトルがかかった一戦だった。

にもかかわらず、可夢偉は臆することなく対等に戦い続け、簡単にはバトンに道を譲らなかったのである。

ところが、バトンはF1初戦の可夢偉がかなう相手ではなかった。防戦するために序盤にタイヤを酷使した可夢偉は、その後のレース戦略が狂い、デビュー戦は入賞に一歩届かず9位とほろ苦いものとなった。その日から可夢偉は、それまでにも増してタイヤの使い方に気を遣い、研究を重ねた。

そして迎えた2012年、可夢偉にとって55戦目のF1グランプリ。

日本人としての母国グランプリ最高位となる3番手からスタートダッシュを決めた可夢偉は、序盤、2番手を走行。一方、バトンは予選で可夢偉よりも速かったものの、ギアボックス交換によって5番手降格のペナルティを受け、8番手からのスタート。それでも、スタート直後の混乱をうまくかわして3番手に浮上していた。最初のピットストップのタイミングでフェリペ・マッサに抜かれ、3位可夢偉と4位バトンの争いに。だが、マシンが持っているポテンシャルだけを考えれば、バトンが駆るマクラーレンMP4-27のほうが速かった。

■レース終盤、バトンが可夢偉を抜くのは時間の問題かと思われた。

しかし、そのバトンを2回目のピットストップまで、可夢偉は抑え続けた。

1周目から始まった2人の戦いの決着は、残り18周の最終スティントに持ち越される。バトンの戦略は4周早くピットストップしていた可夢偉のタイヤが劣化するレース終盤にDRS(可変リアウイング)を使ってオーバーテイクを仕掛けるというものだった。

実際、状況はバトンが計画していた通りに進んでいく。36周目に4.5秒あった2人のギャップは、周回ごとに削られ、44周目からはいよいよ2秒を切ったのだ。ここでバトンにレースエンジニアから無線が入る。

「もうすぐ、DRSゾーンだ。いいぞ、そのまま攻めろ!!」

■バトンのDRS攻撃をKERSで防御していた可夢偉。

シケインの手前に設けられた地点で2台の差が1秒以内に入ると、次のホームストレートで後続のマシンはリアウイングの上段フラップを水平にして空気抵抗を減らし、前を走るマシンを抜きやすい条件を得ることができるのである。そして、残り2周でいよいよ、その差が1秒を切る。

シケインを立ち上がり、最終コーナーを通過してホームストレートに入ったバトンがDRSを稼動させる。すると、トップスピードは約20km/hほど上がる。しかし、バトンは可夢偉のスリップストリームに入ることができず、オーバーテイクを仕掛けることができなかった。

じつは可夢偉はKERS(運動エネルギー回生システム)を温存し、バトンがDRSを使ってくるタイミングに合わせて、最終コーナーの立ち上がりで使用していたのである。バトンが使ってくるだろうDRS攻撃を予測し、KERSで防御したのだった。

ファイナルラップもしのぎきった可夢偉は3位でチェッカーフラッグ。鈴鹿での自身初の表彰台は、14年前にカートで対決した亜久里以来となる22年ぶりの母国グランプリでの日本人表彰台登壇でもあった。

小林可夢偉 鈴鹿での自身初の表彰台
小林可夢偉 鈴鹿での自身初の表彰台

「遊ばれとった」と言って涙をにじませた少年は、26歳の今年、世界最高峰の舞台で最高の相手とのバトルを制して、笑顔で表彰式に臨んだ。そのバトルを見ていた亜久里は言った。

「力強い最高のレースだった」と。

[F1ピットストップ]
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20121010-00000001-number-moto

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コメント

  1. 1
    名無しさん 2012/10/11 14:18

    集団強盗と付き合ってる時点でもう無理

  2. 2
    名無しさん 2012/10/11 16:12

    [1]に同意!!あんな糞女にダメにされなきゃいいけどね…

  3. 3
    名無しさん 2012/10/11 22:54

    ジェンソンと道端ジェシカはお似合いだ。

    世界各国のサーキットに連れて行っても画(え)になる。

    片や窃盗女はバカ丸出し。

  4. 4
    名無しさん 2012/10/12 5:38

    地上波で見たかった〜〜〜なんでBSなのさぁ(;_;)

  5. 5
    名無しさん 2012/10/12 12:12

    あびるちゃんスタイルいいし綺麗で可愛いと思うけどな

  6. 6
    名無しさん 2012/10/12 12:33

    亜久里は棚ボタ3位
    可夢偉は実力で3位

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