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杉良太郎『遠山の金さん』気質!?ケタはずれのボランティア活動の理由

12月3日、歌手で俳優の杉良太郎が小室哲哉とともにベトナムを訪れ、ハノイ郊外の孤児院に住む養子たちと再会を果たしたと報じられた。

杉の社会貢献はつとに有名だが、その具体的な規模や実績についてはあまり知られていない。

「知られていないのは、昔はこの手の話は売名行為と取られかねないので、関係者には一切口外しないように言っていたそうです。

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“ケタはずれ”な社会貢献活動

今回訪れた孤児院の養子はなんと90人。かつて資金提供をしてホーチミンに建てた日本語学校からは、1万人以上の卒業生がいるなど、杉さんの活動はケタはずれですよ」(週刊誌記者)

芸能界に入る前の15歳から始めた刑務所慰問は半世紀以上続けており、更生支援に奉仕したとして08年に芸能人では初めて緑綬褒章を受章している(翌年、芸能活動が認められ紫綬褒章受章)。

「杉さんのスゴいところは、『困っている人に直接援助したい』という思い。震災の際には飛行機やトラックをチャーターして直接現地に物資や援助金を持っていくんです。

そうすると、例えば1億円分寄付するのに4億円かかるようなことも。かつて雑誌のインタビューで、寄付を実現させるためのお金が足りなくなって銀行の会長に、杉さん自身を担保に1億円貸してくれと交渉して借りたこともあると話していました」(前出・週刊誌記者)

杉がこれまでの社会貢献で投じた私財は数十億円。今では杉の活動に心を打たれた芸能人が多数賛同・協力し、活動の輪がますます広がっている。

[引用/参照/全文:http://www.asagei.com/excerpt/48556]

小室哲哉を連れてベトナムへ

NHK―BSプレミアム「“幸せ”調査隊inベトナム」(27日正午)の収録で小室哲哉(57)と訪問。

「経済的豊かさと幸せは必ずしも結びつかない」をテーマに、自国に対する国民の満足度を示す「地球幸福度調査」で世界2位になったベトナムの秘密に迫る。

杉が27年間、物資や寄付金を支援する、視覚障害者の学校も訪問した。

小室は「純粋さがあふれ出しているような学校。(杉が)27年間、支援し続けていることを目の当たりにして、いい意味のショックを覚え、百聞は一見にしかずでした」。

その言葉に、杉は「小室氏は人生で喜びも悲しみも経験して来られた方。どのような感想を持たれるか楽しみでしたが、期待通り人間の原点に引き戻されたのではないか」と満足げだった。

[引用/参照/全文:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151202-00000132-sph-ent]

ベトナムでの支援孤児院での体験から[インタビュー]

--ベトナムでの支援は、孤児院での体験からスタートしたそうですね

t20151209-4そう。最初、孤児院にチョコレートを持っていって、男の子3人女の子1人の4人姉弟に渡したんです。そうしたら長女のガーニーが、チョコを食べない。

「早く食べなさい」って言ったら、じっとこっちを見て一言、「お父さんとお母さんがほしい」って言ったんです。

一番難しいことを言われた。金や物じゃなかった。じゃあ何だ。よく考えて「自分が親になろう。人づくりをしよう」って決めた。

そのガーニーを最初の養子にしました。それから今まで43人のベトナム人の“親”になりました。全員大学まで出す。就職させ、結婚して子供ができたのが3組かな。ガーニーは今35歳で、“末っ子”は小学生。ガーニーは今、日本語センターで働いています。

--法務省特別矯正監として、日本ベトナム特別大使としても活動しています

国づくりは人づくりです。20年以上前、日本企業は米国に気を使ってベトナムに進出していなかった。でもいずれ米国とベトナムに関係ができれば、雪崩のごとく進出する。

その時のため、日本文化を理解し、日本語の読み書きができるベトナム人がほしいと考えたんです。そのために平成7年、ハノイに日本語センターを作りました。結局思い通りになって今、何万人という卒業生が即戦力になっています。

--今はベトナム進出企業も増えました

22年前、ハノイでコンサートを開いたとき、僕は「いずれ日本はベトナムに助けられる」と言いました。すると「あり得ない」という反応が返ってきた。でも今、日本はレアアース(希土類元素)で助けられています。

私財10億円を投じたベトナムへの想い
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歌手として身を立てる以前、無名の頃の15歳から日本の刑務所などを回っての慰問、チャリティ活動をしている。「何か役に立てないか…と。昔から困っている人を見ると、じっとしていられなくて」。

役柄に『遠山の金さん』があるが、着流しから背広び変わってもその気質は変わらない。阪神大震災では誰よりも早く、神戸に駆けつけて、物資を送っただけでなく救援活動を率先した。中越地震でも飛行機をチャーターして足りない物資を運んだ…。

海外にも積極的だった。

「日本という国はおごり高ぶっておかしくなった次期に、戦争でアジアの人たちに迷惑をかけた。まずは迷惑をかけた国にお詫びに行こうと…。そしてまた、移民など受け入れてくれた国にはお礼に行こうと…」

韓国、中国、モンゴル、マレーシア、ブラジルそしてベトナムなど多くの国での活動をしてきた。ベトナムとは1988年からのつながりになる。

「最初、訪れたとき、昭和の始めの日本のような感じがして、懐かしさもありました…。同じアジアでも遅れている、何とか自分で出来ることを…」。

元来の”血”が騒ぎ、傾倒していった。単なる寄付行為でなく、現地を見て血の通った福祉…。25人の子供たちの里親いもなり、”卒業生”を含めれば100人以降のこどもを育てている。

妻・伍代夏子さんは、「とっても素晴らしいことだと誇りに思います。けど、そろそろ我が家の老後のことも考えなくては…」と笑う。

すでに10億円以上にも及ぶ私財をなげうっての福祉活動には、驚くしかないが、”金さん”は、「この仕事には定年がないからねぇ」と、まだまだ続けるつもりである。

[引用/参照/全文:http://blogs.yahoo.co.jp/success0965/12744292.html]

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