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【追悼】松方弘樹『元気が出るテレビ』で共演のたけしと裏話 豪快&お騒がせ私生活


映画『修羅の群れ』

漫才コンビ「浅草キッド」の水道橋博士(54)が、デイリースポーツの取材に応じ、訃報から一夜明けて俳優・松方弘樹さん(享年74)について言及。

日本テレビ系バラエティー番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」で、松方さんと師匠・ビートたけしとの交流を弟子として間近で体感していた。

たけしが都内に「北野屋」という料理店を始めたとき、松方さんが京都から差し入れとして「マツタケ100キロ」を送ってきたという“伝説”について、水道橋は「本当に100キロあったのか、話が盛られていたのか、きょうも調べたんですけど、(正解には)たどり着けなかった。

ただ、すごく大量のマツタケが送られてきたことは事実です。焼いたり、煮たり、いろんな調理法しながら、(食べきれなくて)最後はマツタケカレーになっちゃったという。エリンギじゃねえんだ!と当時、我々の間では話題になっていました」と明かした。

さらに、松方さんが「好きなもの、食え!」と、札束で立つ財布を出したというエピソードについて、水道橋は「それは本当ですね」と即答。

「たけしさんと松方さんは敬意を持ち合ってお互いを立てていた。松方さんがスタッフの一人一人に、当時“ボーヤ”だった俺みたいな者にまで、いばることは1度もなかった。

松方さんという人は表裏がなくて、むしろ裏の方が腰の低い振る舞いであって、スターを演じながら気を遣い続けていた。それをずっと見てましたね。

時代はバブルの黄金時代、きらびやかな世界で2人のスターが立て合って、俺はただ『すごいな』と…」と振り返った。


TV『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』

「松方さんはお父さんから東映の大スターが殿様としてどう振る舞えばいいかを学習した。

自分も本当は苦労しているけれど、苦労を見せず、その後、東映の大スターとしての振る舞いや生き方をなぞったんですよね。

だから、ああいう事をされていたのだと思います」。

水道橋は、松方さんの豪快伝説の背景に、父である東映時代劇の名優・近衛十四郎さんの存在を指摘。“マツタケカレー”や“立つ財布”が象徴する昭和の芸能界に思いをはせていた。

[via:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170124-00000093-dal-ent ]

愛の巣の修羅場


映画『仁義なき戦い』

85年の開始当時から長らくレギュラー出演した「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」で、たけしのギャグにズッコケたり、声を裏返らせたりと“おちゃめ”な面も発露。

「たけちゃん!」などと言って笑いながらハンカチで顔の汗を拭くシーンが番組の名物となり、若い女性から「カワイ~」と人気になった。

ちょうどそのころ、松方さんとたけしは頻繁に飲み歩いていた時期があったという。昔話としてたけしが聞かされた仰天の“修羅場エピソード”は次のような話だった。

「松方さんがオンナの家行ってたら、夜中に男が来ちゃってオンナが真っ青に。『早くタンスの中に隠れて!』って。松方さんが『お前、男がいるんじゃないか!!』って言ったら、『たまに来るのよ』って。

しょうがなくて隠れたら、男が『テメェ~、中に誰かいるんじゃね~か?』って寝室のドアを蹴っ飛ばして入ってきた。で、『こっちだって松方弘樹だ。しょぼい男だったらぶん殴ってやる!』って思って、洋服ダンスの隙間からソーッと見たら、力道山だったって」

力道山は63年に亡くなっている。松方さんが20歳前後の若かった時代のこと。このエピソードをたけしに明かした時、松方さんは「本当に怖かったんだよ」としみじみ語っていたという。

[via:http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/643994/ ]

隠し子騒動 パイプカット告白


CM『バブルスター』
マルチの会社のCMに一流映画スターが喜々として出演するのが昭和、のどかな昭和

東映出身。弟の目黒祐樹(69)も俳優で「お兄ちゃん」と呼ばれ、スタッフから愛された。とにかく豪快。

現場では気持ちの波がない人で、スタッフを決して怒らなかった。話もうまく、常に人を楽しませる。待ち時間には鼻歌を歌い、にこにこと笑顔を浮かべていた。

「撮影に関わったスタッフは、下(若い人)から上まで満遍なくみんなごちそうになった」(関係者)。

松方主催の宴(うたげ)は、時に100人を超えるほどだった。ブランデーが大好きで、豪快に飲む。そして、共演者やスタッフに飲ませまくった。撮影の野次馬にも愛想がよかった。とにかく愛された人だった。

プライベートは波瀾万丈

1度目の結婚相手、夏子さんとは1男2女をもうけたが、77年に仁科と松方が同棲を始め、78年6月に離婚が成立。

79年3月に仁科と入籍した。離婚の慰謝料は3億円。当時、“芸能界最高額の離婚慰謝料”と話題になった。

82年9月には仁科との間に長男・仁科克基(34)、84年11月には長女・仁美(32)が誕生したが、87年10月には歌手・千葉マリアとの間に2歳になる隠し子が発覚し、松方さんが会見。

公になる約2年前に当時の妻、仁科にバレて激怒され、「すぐパイプカットされてしまった」と衝撃の“パイプカット”告白をした。隠し子(男児)については認知せず、経済的援助をすることで決着した。

隠し子も含めて子供は6人。克基は15年に出演したテレビで「弟は1回も会ったことない」と話していた。

隠し子騒動も乗り越えた仁科との結婚だっったが、山本さんとの不倫関係が原因で、98年12月末に離婚。

仁科は週刊誌に2人の不倫関係を暴露し、95年秋には睡眠薬を飲んで自殺を図ったことも明かした末の壮絶な離婚劇となった。

[via:https://www.daily.co.jp/gossip/2017/01/24/0009855938.shtml ]

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