TROUBLE

HEADLINE

急逝・神田沙也加 直前に共演恋人・前山剛久とのトラブル!?「遺書」公開の文春報道に大ブーイング


『マイ・フェア・レディ』前山剛久と神田沙也加

部屋に残されていた2通の遺書。1通は、極秘交際していたイケメン俳優宛てだった。

死の直前、彼とアイドルとのLINEを見つけた沙也加。

母・聖子とは弁護士経由で話すという孤独の中、さらに彼女に残酷な知らせが…。

札幌市内を観測史上最高となる55センチの積雪が襲った12月18日午前10時過ぎ、男性マネジャーは焦りを募らせていた。足早に向かったのは、街のシンボル「札幌市時計台」に程近い22階建ての高層ホテル。

「部屋を開けてくれませんか。昼12時から公演が始まるのに、まったく連絡が取れないんです」

マネジャーとホテルの従業員はスペアのカードキーを手に、彼女が泊まっている20階の一室を訪ねた。

ところが、室内はもぬけの殻。誰もいない部屋の机に置かれていたのは、2通の封筒だった。1通は事務所宛て、もう1通は“ある男性”に宛てたもの。数枚の便せんに綴られていたのは、こんな言葉だった。

《女性にあんまり強い言葉は使っちゃダメだよ。一緒に勝どきに住みたかった。2人で仲良く、子供を産んで育てたかったです。ただ心から愛してるよ》

そして、男性が別の女性に心変わりしてしまったショック、自分が理想の女性になれなかったお詫び、夢見た未来がもう叶わない現実への無念や悲しみ……。

その遺書が、彼女の最期の言葉になった。

12月18日夜、訃報が伝えられた女優の神田沙也加(享年35)。主演ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の公演が予定されていた当日の出来事だった。

ホテル幹部が証言する。

「18日の午前11時1分にマネジャーさんが110番通報した後、警察とスタッフ総出でホテル中を探し回りました。

約2時間後の12時54分、高層階を清掃するための機材などが置かれていた14階の非常用屋外スペースで神田さんが見つかったのです。客室の窓は15センチ程度しか開かない構造になっており、神田さんの部屋の窓に破損は認められませんでした」

意識不明の状態で搬送され、9時間近くが経った午後9時40分、彼女の死亡が確認された。死因は外傷性ショック。解剖の結果、事件性は無いという。

沙也加の友人が語る。

「今でも信じられないのは、マイ・フェア・レディの公演中に亡くなったことです。沙也加が『芸能界のお母さん』と慕う大地真央さんが長年主演を務めてきた作品。大地さんの公演を何度も観に行き、セリフも全て覚えていた。

『いつかマイ・フェア・レディを演じられたら最高だよね!』と話していました。主演が決まった時は本当に大喜びしていたのに、どうして……」

母・聖子が設立した新事務所

神田正輝と松田聖子という稀代のスターを両親に持つ沙也加。彼女はなぜ、35歳の若さでこの世を去ることになったのか。
“聖輝の結婚”から1年後の86年、沙也加は産声を上げた。だが、間もなく両親の夫婦生活は破綻する。

「聖子はバックダンサーら複数の外国人男性との不倫疑惑が報じられた末、97年、正輝と離婚します。翌98年には主治医の歯科医と“ビビビ婚”を果たしたものの、その後、原田真二との不倫疑惑が報じられ、00年に離婚。12年に別の歯科医男性と再々婚をしています」(芸能デスク)

そんな母親のもと、暗い思春期を送ってきた沙也加。自著『Dollygirl』(宝島社)では、全寮制の名門校などを転々とした中学時代をこう記している。

〈正直つらいことしかなかったです。結局4回転校を繰り返しました。(略)寮ではすさまじいいじめが待っていて、寮生活でのいじめって逃げ場がないんですね〉

芸能界デビューは01年、14歳の時。ただ、歌手や女優など幅広く活動するものの、周囲の大きな期待に応えられない状況が続く。『Dollygirl』でも、当時をこう振り返っている。

〈私の中では色々と葛藤が生まれていて。(略)用意されたものに対して、自分の実力が伴っていない〉

この間、メディアを賑わせたのは、むしろ母・聖子との“不仲”だった。

「最初はデビュー直後、沙也加とひと回り年上のギタリストとの交際が原因でした。沙也加は結婚すると言い出しましたが、聖子は猛反対。自宅で窓ガラスが割れる大喧嘩で、警察が出動する騒ぎになりました。

その後、沙也加の家出もあり、盛んに“断絶”が報じられた。ただ、そうはいっても母娘。最後は関係修復に動き、訣別には至りませんでした」(母娘の知人)

実際、13年8月には沙也加と聖子、歯科医の現在の夫と韓国旅行に行っている。聖子はこの頃までは遠慮がちに、娘を「さや」と呼んだりしていたという。

ところが、今から7年前の翌14年から――。

「二人は“絶縁状態”にあります。音信不通の状況が続き、弁護士を介さなければ会話もままならない状態でした」(同前)

亀裂の決定打になったのは、この年の6月、聖子が個人事務所「ファンティック」を飛び出し、新事務所「melody fair」を設立したことだった。

「ファンティックは89年に聖子がサンミュージックから独立した後に立ち上げた事務所で、元々は聖子の亡き父が代表でした。その後は兄が代表に就任し、30年近く家族で切り盛りしてきた。

ところが聖子は一方的に家族を捨て、元マネジャーと行動を共にし、自分の事務所から“独立”するという不可解な行動に出ました。

この元マネジャーは、聖子との不倫疑惑が幾度も報じられた人物。こうした振る舞いに、沙也加もついに愛想を尽かしたのです」(事務所関係者)

沙也加は17年4月、舞台共演を通じて交際に発展した、9歳年上の俳優・村田充と結婚。だが、彼女は母親に一切、結婚について報告しなかったという。

「聖子は何度も電話をかけましたが、沙也加は全て無視。『“おめでとう”と伝えてあげたいのに連絡が取れない』とボヤいていました。

聖子を結婚式に呼ばない一方、当てつけのように、それまで関係が希薄だった父・正輝を招待。二人でバージンロードを歩いたのです」(聖子の知人)

沙也加が聖子と完全に距離を置いた理由は、もう一つある。それまで“親の七光り”と言われてきた彼女が、自らの力で演劇の世界での成功を掴んだのだ。

「14年3月公開のアニメ映画『アナと雪の女王』で、アナ役の声優を担当しました。映画の大ヒットもさることながら、彼女の確かな歌唱力が業界内外で高く評価されたのです。

メディアから同じような質問を繰り返されても『私がきちんと作品の魅力を伝えないといけないから』と、全く嫌な顔をせず誠実に対応をしていた。ただ、聖子の質問はNG。『もう母親は関係ない』との想いが強かったのでしょう」(演劇関係者)

以降、ミュージカルや声優の仕事などで引っ張りだこになっていく。

「アナ雪の時は分厚い資料を読み耽っていた。台本覚えも本当に早い。仕事に関しては本当にストイックな女優です。19年11月には『アナ雪2』が公開され、再び大きくスポットライトを浴びました」(同前)

そうして、母親と“絶縁”し、自らの地位を確立していった反面、その母親と同じように、娘は“恋多き女”でもあった。

「沙也加は19年12月に村田との離婚を発表します。その直前に『女性セブン』に報じられたのが、舞台で共演したジャニーズJr.秋山大河との不倫疑惑。同年11月下旬に秋山のマンションで一夜を共にする姿を撮られたのです。

ただ、沙也加の事務所は『離婚成立は同年夏』と不倫を否定。一方、秋山はジャニーズアイランドの滝沢秀明社長の逆鱗に触れ、翌20年1月、ジャニーズを退所しています」(スポーツ紙記者)


神田沙也加と秋山大河の不倫報道

秋山とはその後も交際を続けていたものの、今年に入り、破局したとされる。

「特殊な芸能一家に生まれ、母親とも絶縁状態に陥った彼女は、愛情に飢えているところがありました。だから、舞台で自分を支えてくれる共演者にすぐ惚れてしまう。

ただ、昔から不安定な面もあり、精神安定剤を服用することもあった。それでも彼氏を信用できなくなって、付き合ったり別れたりを繰り返してしまうのです」(沙也加の親友)

そして――。

21年10月から交際を始めたのも、元夫・村田、元カレ・秋山に続き、舞台の共演者だった。5歳年下の俳優、前山剛久(たかひさ)(30)である。

沙也加の告白で始まった交際

「前山は、瀬戸康史や志尊淳らが所属する若手俳優集団『D-BOYS』のメンバー。

13年に『仮面ライダーウィザード』で注目され、『刀剣乱舞』などゲームやアニメが原作の舞台に出演する“2.5次元俳優”として活躍しています。趣味はロック鑑賞。高校時代はバンドを組み、今でもギターを弾いています」(前山の事務所関係者)

彼は女性誌で、自らの恋愛観も披露していた。「三角関係に陥ったら」という質問には、こう答えている。

〈うわ〜、これめちゃくちゃ難しい質問ですね(略)そもそも三角関係だってわかった瞬間、ちょっと引いちゃうかも〉(「週刊女性」20年3月3日号)

沙也加と初めて共演したのは、今年8月から帝国劇場などで上演されたミュージカル「王家の紋章」。二人が恋人同士になったのは、9月下旬の千秋楽から間もない10月初旬のことだった。

「沙也加さんは、前山にブレスレットやヘアピンを贈るなど『王家の紋章』の出演中からアプローチをしていました。

その後、沙也加さんが告白する形で交際が始まった。前山も、可愛い上に情熱的な人柄の彼女に惹かれたそうです。沙也加さんも35歳。最初から結婚を前提とした交際でした」(前山の友人)


前山は自らのツイッターで〈さぁやさんは本当に凄い〉

11月から始まったマイ・フェア・レディでも、立て続けに共演を果たす。

「前山が演じたのは、沙也加さん演じる主役に恋する役どころです。初日前会見では、前山が稽古中に『恋してます!だってめっちゃ可愛いですもん』と“告白”したところ、沙也加さんから“エアビンタ”を受けたエピソードを明かすなど、のろけ放題でした」(同前)

交際当初、前山は沙也加の支えとなっていた。

「沙也加さんは最近も心療内科に通院し、精神安定剤を服用していました。感情の浮き沈みが激しく、ある時、彼女にバッグを隠され、前山がボイストレーニングに行けなかったことがあった。それでも『頑張って薬を減らしていこう』と提案し、そのための計画表も作っていました」(同前)

ところが――。

前山は元カノと続いていた?

12月に入り、沙也加はこう漏らすようになった。

「彼に酷い目に遭わされた」

二人の間に一体、何が起きていたのか。

「沙也加は、前山さんとアイドル・A子さんとの“関係”に深く悩んでいました。前山さんが長く付き合っていた年下の元カノです」(前出・沙也加の親友)

前山とA子は一時期、同棲生活を送っていた。ただ、前山は彼女に対し、21年夏頃に「他に好きな人ができた」と一方的に別れを告げている。

以来、「彼とは一度も会っていない」とA子は周囲に話していたという。沙也加も完全に別れたと聞いていたのだが……。

「実は、前山さんは沙也加と付き合い始めて以降もたびたびA子さんにLINEを送っていました。中には『A子の方が良かった』などと記したLINEもあった。沙也加は、こうしたA子さんとのやり取りに勘付いてしまったのです」(前出・沙也加の親友)

三角関係に耐えかねた沙也加は“ある行動”に踏み切る。交際から2カ月が経った12月4日のことだ。

「前山は沙也加さんの求めに応じ、誓約書を書いたのです。12月4日の日付で、署名と実印を押しています」(舞台関係者)

そこには、次のように綴られていた。

〈元交際相手との関係を一切断つことを誓います〉

〈沙也加さんを傷つけた場合には全快するまでのメンタルケアを担う〉

〈子どもが生まれた場合、父親としての責任を離婚せず、果たすことを誓います〉

沙也加もこの文書で安心できるはずだった。ところがその約1週間後、前山は早々に彼女と誓ったはずの約束を破ってしまう。

〈A子、お疲れ!神田さんと整理つけるのに、バタバタしてた(泣き顔)〉

これは、前山がA子に送ったLINEのメッセージだ。〈神田さんと整理〉とは何を意味するのか。LINEはこう続く。

〈なんとか別れたよ!笑〉

事情を知らないA子が〈すご笑〉と反応すると、前山はすかさず、

〈めっちゃ大変だった!笑 今度話聞いてもらっても良い(汗)?〉

〈いつ時間あるー?〉

と返信している。

つまり、前山はA子に対し、沙也加と〈別れた〉と語り、それを口実として会おうと誘っているのだ。

沙也加もこのLINEを目にしたという。我慢は限界に近づいていた。

「人づてに、前山が所属する事務所の社長に『話をしたい』とアプローチしたのです。ただ、大人同士の恋愛ですから、社長としても自分が介入することではないと判断した。現場のスタッフに『状況を確認して』と伝えるに留めたそうです」(前出・前山の親友)

その後、前山は現場のチーフマネジャーから事情を聴かれ、

「二人で解決するので大丈夫です」

と答えたという。

「前山はこの後、沙也加さんに『俺たちの喧嘩のことで会社を巻き込むなんておかしいよ』と諭していました。その時は、彼女も納得して、『さすがにやり過ぎた』と反省していたそうです」(前出・前山の友人)

ところが、二人の確執はこれで終わらなかった。冒頭の遺書で《一緒に勝どきに住みたかった》と綴っていた沙也加。それは夢物語でなく、実現目前まで進んでいた計画だった。

「真剣に結婚を考えていた沙也加は同棲を提案しました。当初は前山さんも乗り気で、勝どきの物件を内見しています。12月初めには沙也加の名義で契約することにして、審査も通っていた。

ところが、あとは本契約だけとなった12月中旬、突然前山さんが同棲を白紙にしたいと言い出したのです。彼女はそのことに本当に大きなショックを受けていました」(前出・沙也加の親友)

この一件の直後の12月16日、翌々日の18日から出演するマイ・フェア・レディの札幌公演に向け、二人は北海道に到着した。

「その当日も、二人は都内で大喧嘩をしています。『お前なんか、(恋愛でメディアを騒がす)母親と一緒だ』と罵倒されることもあった。

この時点で沙也加は、前山さんには自分に対する気持ちがもう残っておらず、夢見ていた結婚や子どもが叶わないことを悟りつつありました」(同前)

しかも、沙也加は自宅を出る際、日頃から服用していた薬を忘れ、それが彼女の動揺に拍車をかけたという。それでも北海道に到着してから、二人の話し合いは続けられた。

「沙也加と前山さんに加え、沙也加のマネジャーの三人で食事をしました。

話し合いを重ねる中で、前山さんは『これまで通りに交際を続け、沙也加のことを見つめ直す』と思い直してくれた。『付き合い立ての頃を思い出そう』とも。彼は彼で相当悩んでいました。この日の会計は沙也加が持ったそうです」(同前)

沙也加は前山の言葉をどう受け止めたのか。二人は同じホテルの違う部屋に泊まっていた。

その日は食事だけでなく、ホテル近くのドン・キホーテで買い物をし、ホテルで使うシャンプーやマスク、お菓子などを共に買い求めたという。一瞬、仲睦まじかった日々に戻ったかのようだった。


ホテル モントレ エーデルホフ 札幌

喉の手術を宣告される

だが、更なる残酷な知らせが彼女に――。

翌12月17日、マイ・フェア・レディ本番に向けたリハーサル。彼女は、舞台関係者らに深刻な様子でこう吐露していた。

「最近、喉の調子が悪いんだよね……」

実は札幌行きの直前、沙也加は都内の病院で喉の検査を受けている。その結果が手元に届いたのだ。

「手術をしなければ、非常にまずい」

ミュージカル女優として生き抜く道を選んだ彼女にとっては、あまりに厳しい“宣告”だった。

母親との7年間に及ぶ“絶縁”。将来を夢見る彼氏との“確執”。そして仕事面での“絶望”。追い込まれた沙也加はここから、どのような行動を取ったのか。

「17日午後3時頃、リハーサルを終えた沙也加と前山さんは、一旦ホテルに戻って二人で出かけています。ただ、彼女は夕方にオンラインミーティングが予定されていたため、再びホテルに戻ってきました」(前出・沙也加の親友)

そして、前日と同様、前山と沙也加、マネジャーの三人で夕食を摂るため、午後8時頃にホテルで合流した。ところが沙也加は、

「やっぱいいや。私、気分が悪いから、二人で行って来て」

こう言い残し、自らの部屋に引き上げて行った。それが、前山やマネジャーが見た最後の姿だった。

捜査関係者が明かす。

「部屋のカードキーの記録を調べると、その後、沙也加本人を含め、出入りは一切なかった。前山も『その後は連絡を取っていません』と説明したそうです」

果たしてその翌日、沙也加は冒頭のような遺書を残し、死亡していたことが確認されたのだった。

沙也加、A子の事務所に事実関係の確認を求めたが、期日までに回答はなかった。

一方、前山の事務所に沙也加との交際や確執、A子との関係などについて確認を求めたところ、

「前山剛久より、神田沙也加様と真剣に交際しているという報告は受けており、承知しておりましたが、神田様も前山も、30歳を超えた大人同士による恋愛でしたので、本人達に任せておりました。

突然の訃報に接し、前山も多大なショックを受けている状態で憔悴しきっており、現在本人から話を聞ける状況ではないため、回答を控えさせて頂きます。

ここに謹んでご冥福をお祈り申し上げます」

12月21日、たった一人の娘に別れを告げた父・神田正輝と母・松田聖子。沙也加は《愛してる》の言葉を残し、35年の生涯に幕を下ろした――。

[via:週刊文春]
https://bunshun.jp/denshiban/articles/b2158


前山剛久

前山剛久 交際認め追悼

12月18日に35歳で急逝した神田沙也加さんが出演予定だったミュージカル「マイ・フェア・レディ」の共演者で俳優の前山剛久が22日、所属事務所を通じてコメントを発表した。

「この度、神田沙也加さんのご訃報に接し、心から哀悼の意を表します。

私、前山剛久は神田沙也加さんと真剣なお付き合いをしており、将来を見据えたお話もさせていただいておりました。『王家の紋章』『マイ・フェア・レディ』にて同じ舞台に立たせていただき、女優としても、人としても、大変尊敬する存在でした。

ただ今は、神田沙也加さんが天国でも、あの素敵な笑顔のままいてくれる事を願い、心よりご冥福をお祈りいたします」

前山は沙也加さんと真剣交際していたことを明かし、急死を悼んだ。所属事務所によると、前山は強い精神的ショックを受け憔悴しているという。

前山の所属事務所も、前山の精神状況について公式サイトで説明した。

「神田沙也加様のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心よりご冥福をお祈りいたします。

前山剛久は、現在突然の悲報に多大なるショックを受け、憔悴しきっている状況でございますので、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』の今後の公演につきまして、出演はございません。

お待ちいただいておりました皆様には、お詫び申し上げます。公演の成功を切に願っております」

と説明した。

「マイ・フェア・レディ」は主役のイライザとヒギンズ教授、御曹司フレディの3役が、朝夏まなと、別所哲也、寺西拓人の「チームA」と沙也加さん、寺脇康文、前山の「チームK」で演じるダブルキャストとなっていた。

製作の東宝は神田さんの訃報を受け、25日の山形公演から千秋楽までの24公演の全てをチームAが務めることを発表。寺脇と前山も降板することになっていた。

[via:日刊スポーツ]
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202112220000378.html

ネットの反応

・何だ、これ
・痛々しい
・自殺だったのか
・本当のところは2人にしかわからないのに前山さんを追い込むような記事はやめた方が…
・次は、前田さんを追い込むのか?負の連鎖・・・
・自ら死を選ぶしかなかった理由は本人しかわからない。家族や関係者の方にとっても、そっとしておいてあげるべき。
・こういった記事はご両親のそっとしておいてほしいという意思に反するものではないですかね。
・もしそれが本当だとして、沙也加さんが死ぬほど苦しみ、実際に命まで落としてしまった。そんな事を取材して世間に晒し、何になる?
・自殺の報道の仕方知らんの?バカなの?
・これは、やりすぎ。
・遺書はないって言ってなかったか
・なんで遺書がこんなに早く文春に渡るんだよ
 >仕事が早いというか恐ろしくもあるね
・警察くらいしか入手ルートなくないか?
・公表したくないと言ってるものを公表していいのか
・文春調子乗りすぎじゃね
・遺書を公開する社会的必要性ってなんだろ
・さすがに遺書の内容を知る権利は他人にはないよな
・セカンドレイプみたいなものだな。
・文春が黙ってる訳ないか…
・せめて49日までとかさ、もう少し待ってあげればいいのに、酷すぎ
・文春さんは、色んな憶測を書きすぎだよ。どれが真実かわからない。
・コレで自殺なのか…よくわからんな
・男が悪くないとは言わんが、こんなんで死なれても困るって感じだな
・このトラブルを文春砲されるのを知ってそれが自殺の引鉄になったんじゃないか?
・色々あったんだろうが暴露されても後味があまりにも悪い
・寺脇さんいい人だよな元カレ気遣って自分が続けられないって名乗り出で丸く納めようとして。でも元カレの裏の顔は知らなかったんだろうな。
・結局色恋沙汰?
・誓約書がマジで怖い
 >なら、誓約書拒否して別れろよ
・前山もなんで初日を迎えるタイミングで別れ話するかね
・元カノに送ったLINEも、沙也加を馬鹿にしすぎ まあ、事実ならだけど
・前山って人、もう芸能界で生きていけないんじゃね
・A子って誰だよ
 >A子はもともと捨てられた上に別れたと嘘つかれた被害者だから追求はやめとけよ
・母親は浮気や不倫、略奪、娘も不倫やらかしつつ、二股浮気されて自殺とかもうね…
・全てに絶望した魔の瞬間だったんだろうなとしか。。
・もうただただ、さーやちゃんは今はゆっくりと眠って欲しい。

関連商品

コメントする

関連記事

このカテゴリの最新記事