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【ソチ五輪】15歳最年少メダリスト平野歩夢 快挙の裏に"腰パン"国母氏も

スーパー中学生が歴史を変えた。男子決勝が11日に行われ、平野歩夢(15=バートン)が93・50点をマークし、銀メダルを獲得した。15歳2カ月でのメダル獲得は冬季五輪の個人種目で日本人として史上最年少の記録。予選2組で2位だった平岡卓(18=フッド)も92・25点で銅メダルを獲得し、2人同時にソチ五輪日本人第1号の表彰台に上った。

平野歩夢
平野歩夢

平野歩夢決勝2回目。1メートル60と小柄ながらスピードある滑走で、滞空時間が長く高く完璧なエアを連発した。ミスなく迎えた最後のエアでは軸をずらしながら3回転する大技「ダブルコーク1080」を決め、93・50点で銀メダルを確定させた。五輪2連覇中のホワイト(米国)に重圧をかけてミスを誘い、平岡とともに日本選手団第1号となるメダルを獲得。冬季五輪の日本人最年少となる表彰台のオマケつきだった。

平野歩夢(銀)|ポドラドチコフ(金)|平岡卓(銅)
平野歩夢(銀)|ポドラドチコフ(金)|平岡卓(銅)

昨季は14歳で最高峰の冬季Xゲームに初出場し、ホワイトに次ぐ準優勝で同大会最年少メダリストになった。昨年8月の今季W杯開幕戦で初優勝を飾った際も、最年少の記録がついた。海外メディアから注目され取材も殺到した。

スノーボードを始めたのは4歳の頃。3歳年上の兄・英樹(えいじゅ)さん(18)の後を追いかけてボードに乗った。冬場はHPコースを求め、新潟から山形の横根スキー場に通った。午前中の授業が終わると早退し、両親が運転する車で30~40分の練習場へ向かい、夜遅く帰宅。「お兄ちゃんに負けたくない」という負けん気の強さは生来のものだ。

平野歩夢・父・英功父・英功さんはサーフィンが専門ながら、息子を全面支援。滑りの感覚を磨くのに適したスケートボードを常にできる環境を整えた。03年に国内最大級屋内施設「日本海スケートパーク」を造った。村上市の委託を受けて施設を整え、一年中、練習できる状況になった。息子は父の助力に応えて、小学4年で早くもプロとなった。

過去の五輪は映像だけの世界だった。「ショーン(ホワイト)は断トツって感じ」。そのホワイトを初めて目の当たりにしたのは09年に福島で開催されたアジアオープンだった。「すげー」と圧倒されたが、5年が経過。「五輪の舞台で倒したい」と語っていた言葉は今、現実となった。

手にしたのは銀色のメダル。銅メダルの平岡とがっちり握手をかわした。スーパー中学生によって、日本スノーボード界は新時代を迎えた。[スポニチ]
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2014/02/12/kiji/K20140212007569380.html

■"腰パン男"国母氏が快挙を後押し

国母和宏ハーフパイプ(HP)勢の大活躍の裏で、"陰の立役者"とされるのが前回バンクーバー五輪で「腰パン」騒動を起こした国母和宏テクニカルアドバイザー(TA=25)だ。プロボーダーとして活躍する国母氏は、昨年8月1日から五輪までの期間限定でTAに就任した。実力は誰もが認めるが、4年前の大騒動も記憶に新しいだけに指導者起用に疑問の声も上がった。

ところが、日本代表の上島しのぶコーチ(42)はこの裏事情を本紙に打ち明ける。「昨年の春に、彼から『選手の支えになりたい』と申し出がありました。彼自身も4年前に自ら犯したものを認識していて『オリンピックで精神状態が厳しい状態でプレーしたことを(伝えて)今の選手に同じ思いをさせたくない』と言っている。彼も滑り手なので(正コーチとして)縛ることなくいい部分を生かすことにしたんです」。なんと"腰パン男"が改心していたという。

技術の進化が著しいHP界。人材不足に悩む全日本スキー連盟(SAJ)にとっても、国母の申し出は渡りに船だった。「パイプっていう競技は生き物ですから。常に進化するものに対し、教えられる人はなかなかいない。選手に近い技術力がありながら指導ができるっていう部分では、日本のスタッフの中に欠けていた」(上島コーチ)

何より、平野や平岡など選手からの信頼が絶大だった。国母氏はソチの会場には姿を見せなかったが、遠征などで選手をサポート。意外な後ろ盾が快挙を後押しした。[東スポ]
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2014sochi/234053/

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