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テレビが語らない高倉健の"意外な一面"下ネタ、ゲイ疑惑、山口組との関係...

先月10日に亡くなっていたことが後日報道された、俳優の高倉健。マスコミでは今、健さんの感動的なエピソードを披露しまくっている。

実はお茶目な高倉健健さんといえば、不器用で無骨、寡黙でお堅く情に篤いというイメージを持たれがち。その一方では、健さん自身が「自分ではわりと器用に生きてるつもり」と語る一面もあった。

実際、ここ数年メディアで目にする健さんは、比較的よく喋り冗談もポンポン飛び出す姿ではないだろうか。しかし、そんなお茶目な健さんではなく、もっと驚くべき姿を披露していたこともあったのだ。

91年に集英社から発行された健さんのエッセイ集『あなたに褒められたくて』に載ったエピソードを紹介しよう。

「前歯にマジックを塗ってお歯黒にする」
「脱毛クリームで眉毛を落とす」

...これらは全て、健さんが端役の役者にした悪戯。

「スプレー式の麻酔薬を吹きかける」
「馬用の下剤を飲ませて、トイレを全て占領する」
「ありったけの胡椒を入れた胡椒風呂に入らせる」

に話が至ったときには、健さんドS説はありかもしれないと思えるだろう。過去には、ラジオ出演時に童貞決別したときの告白をしている。

何でも、場所は明治大学2年生のときに故郷の福岡の遊郭でだったそうだ。

98年に『週刊文春』(文芸春秋)で阿川佐和子と対談したときには、

「タバコ吸ったり、マスターベーション教わったり。お寺の本堂で、十人ぐらい並んでマスターベーションするんです」

と阿川も絶句するほどの経験談をカミングアウト。

檀ふみのほろ酔い対談 高倉健87年の『檀ふみのほろ酔い対談』(潮出版社)では、ソープランド経験について

「昔、一度だけ行って、ひどい目にあったことありますよ」

と健さんから振っている。

実は映画監督の機嫌を取るためにみんなで行ったそうだが、お相手の女性に難ありだったようだ。

「僕の郷里の出身で、お母さんをよく知ってますって。それでこっちはその気がまったくなくなっちゃってね」

この対談では、健さんからこんな話も出ている。

「まぁ、子供がいるとか、ホモだとかっていう程度の話なら、笑って済みますけどね。つい最近、ホントにびっくりしたのがありますよ。

僕はこの1年ちょっと映画に出てないでしょう。そしたら健さんはエイズにかかって、今、ロック・ハドソンのいたパリの病院に行ってるって。(爆笑)」

「こんなに女の人を好きな男をつかまえて、ホモだっていうのもおかしな話だと思いますけど」

高倉健 江利チエミ世代によっては、健さんが江利チエミと結婚・離婚していたことを知らないかもしれない。江利チエミが飛行機事故で亡き後も、健さんは命日にひっそりお墓参りをしているという。

が、十朱幸代や倍賞千恵子、89年には23歳年下の元CAの女優と、92年には21歳年下のハワイ在住日系女性と噂が立ち、2003年には女優の児島美ゆきが「20年前に健さんと付き合っていた」と暴露している。

その裏では、俳優・小林稔侍とのゲイ疑惑があった。それも、その筋の人である映画評論家のおすぎが言及しているのだからもっともらしい。

映画『鉄道員』では、健さんが小林を押し倒したり抱き合ったりするシーンが満載だそうなので、プレイバックしてみてほしい。

「でも世間体のために結婚するのは嫌じゃないですか」

壇との対談で、健さんが語った一言だが、解釈次第では、意味深な発言だろう。

ともあれ、日本人なら知らぬ人はいないほどの大俳優がここまでユーモラスな噂を立てられてしまうのも、健さんが稀有な人物である証拠だろう。

[引用/参照:http://lite-ra.com/2014/11/post-645.html]

□ 山口組組長に奨学金提供を直談判!?

近年はすっかりそういうイメージはなくなってしまった高倉健だが、もともとは東映の任侠映画のスター。当時は私生活でも普通に暴力団との交友をもっており、とりわけ田岡三代目との関係は有名だった。

逝去して以来、芸能マスコミや週刊誌は追悼特集で埋めつくされている。そんな中、「アサヒ芸能」(徳間書店)12月4日号が いかにも「アサ芸」らしい特集記事を掲載。

「高倉健と山口組──。日本を代表する俳優と日本最大のヤクザ組織の縁が始まったのは、1950年代後半にまで遡る」

高倉健 田岡一雄・山口組三代目組長

高倉が東映に入社したのは55年。当時、高倉は美空ひばり主演の相手役が多かったが、ひばりの後見人は、言わずと知れた田岡一雄・山口組三代目組長、その人だった。

また高倉は59年に江利チエミと結婚するが、江利はひばりの親友でもある。つまり、女性を仲立ちにするかたちで関係が始まったようで、「アサ芸」によれば、「(高倉の)結婚式には田岡三代目組長も列席した」という。

だが、その関係が「蜜月」になっていくのは、73年に『山口組三代目』で田岡組長役を高倉が演じたことだった。この映画は田岡三代目の自伝をもとにその半生を描いたものだが、ある日の撮影後、高倉は田岡三代目を訪ねていったという。

「心臓病で入退院を繰り返していた田岡三代目がちょうど在宅しており、親分の部屋で2人きりで、30分ほどでしたが、お互いをねぎらい合ったんです」

当時、雑誌のインタビューで高倉は田岡三代目について惚れ込み、共感さえ感じたことを自ら語ってもいる。

同映画は空前のヒットとなり、田岡三代目は高倉に感謝する意味で、京都の料亭に招いたこともあったらしい。

こうした交友の中で、同作の監督である山下耕作は、高倉が田岡に仰天の計画をもちかけていたことを「アサ芸」に証言している。

「高倉は『親分と同じように、頭がよくても貧しいために学校に行けない子はたくさんいる。そんな子のために山口組で育英資金を出してはどうですか』と話しかけた。すると、田岡三代目は『それはええ考えやな。さっそく検討してみよう』と即答したという」

当時は、暴力団抜きには興行が出来なかった時代で、ヤクザと芸能人の交友はかなりおおっぴらに行われていた。だが、「アサ芸」の記事が事実なら、その中でも健さんは相当に暴力団とズブズブの芸能人だったといえるだろう。

しかし、その健さんも、70年代の後半に入ってからは一転して、暴力団と距離をおくようになった。

周知のように、高倉健は70年代に入ってから、ヤクザもの以外の映画に出演したいという希望をもちはじめ、76年には「このまま東映にいるとヤクザ役しか出来なくなる」という理由で独立したといわれる。

だが、この背景には、プライベートでもヤクザと距離をおきたいという気持ちもあったのではないかといわれている。

「健さんの本質は読書や映画が好きなインテリで、もともとヤクザのような単純な『男の世界』にはあまりなじまないところがあった。

任侠映画のスターということで、暴力団関係者との交友が増えていくことにも負担を感じていたんじゃないでしょうか。

実際、80年代くらいからは、引退した信頼できる人をのぞいて、ほとんどの暴力団関係者とは縁をきっているはずです」(ベテラン芸能ジャーナリスト)

実際、後年の高倉の暴力団嫌いは有名で、高倉の死後、11月22日にビートたけしが『新・情報7daysニュースキャスター』(TBS系)で明かしたとろによると、高倉は知り合いの暴力団組員に「そういう商売はやめなさい」と言って暴力団をやめさせ、付き人にしたということもあったという。

同世代の俳優や歌手の多くが今もずるずると暴力団との関係を引きずり続けている中で、ここまできっぱりと関係を断ち切ったというのは、かなり希有な例ではないだろうか。

[引用/参照:http://lite-ra.com/2014/11/post-663.html]

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[5] はい

うん。飛行機事故じゃないですよね。誰と間違ってるのかな。

[4] アカサカサカア

俺も寝ゲロで死にそうになったし(笑)(笑)(笑)

[3] 神聖アカサカサカア

自分不器用なんで、未だに童貞

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