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【闇真相】芋づる式に逮捕された芸能界の薬物汚染事案を歌謡界の大御所が回顧

ASKA、清原和博、高知東生、高樹沙耶‥‥。

ここ数年、ざっとあげただけで大物有名人の薬物逮捕者がずらりと並ぶ。いや、芸能史を振り返れば、今に始まったことではない。

かつてもあった、芋づる式に逮捕された時代──。その歴史を自分の目で見てきたからこそ、歌謡界の大御所は堕ちた有名人たちを一喝するのだ。

今から40年前。1977年、歌手のジョー山中を中心に大麻を入手するためのルートが長崎県佐世保市にあった。一部では「佐世保コネクション」などと呼ばれ、芸能人の連鎖逮捕がここから始まったのである。

72年、スイス人画家がパキスタンから同地にハッシッシ(大麻樹脂)28キロを持ち込んだのが発端だった。

廃品回収業者⇒運送業者と渡ったハッシッシは、ジョーに流れる。ジョーはこのルートを使い、73年から77年までの4年間で、合計400グラムものハッシッシを手にしていた。

77年8月11日、ついにジョーが逮捕される。ジョーは佐世保署の追及で内田裕也(同年9月24日検挙)に2グラムと、美川憲一(同年10月13日検挙)に1グラムのハッシッシを渡したことを自供。

その後、「芸能界薬物汚染事件」は佐世保ルート以外にも広がりを見せた。内藤やす子、研ナオコ、井上陽水、にしきのあきら、桑名正博、上田正樹‥‥。

わずか1年の間にこれだけのビッグネームたちが薬物事案で次々と摘発されていったのだ──。

前代未聞の連鎖逮捕事件をはじめ、芸能界違法薬物汚染に関わった芸能人たちとの交流を回顧するのは、日本歌謡界の重鎮・敏いとう(77)である。麻薬に溺れていたスターたちの姿をいずれも一笑に付す。

あの大麻の案件とは関係ないけど、ジョー山中を1回殴ったことあるな。あいつ、「有馬徹とノーチェ・クバーナ」のバンドボーイ(ミュージシャンのサポート)やってたんですよ。

その当時、楽屋での態度が悪いからシメてやったんだよ。ボディを一発。顔は殴らないよ。芸能人だから顔は殴っちゃいけませんよ。俺はそうしてきた。

佐世保ルートだっけ? そこで名前があがった内田裕也も何度かシメたな。これも大麻とは一切、関係ないけどね。

人と人との関係は挨拶に始まって挨拶に終わるもの。これは芸能界だけじゃないと思うんだけどね。裕也は挨拶が気安いんですよ。

研ナオコが声を詰まらせた

くしくも2人とも大麻なんかでパクられてね‥‥。

研ナオコに大麻を渡したのが、内藤やす子だったんだよな。彼女とは「バーニングプロダクション」の1期生で、一時期は一緒だったんだけどね。どうしたもんだか‥‥。

研ナオコはずいぶんと面倒見た。でも彼女はね、人はいいんだけど、精神的に弱いと思いますよ。守ってやらなきゃって思った。

俺の兄貴分で、「ハッピー&ブルー」を引っ張り上げてくれた、昭ちゃん(田邊昭知社長)のところ(「田辺エージェンシー」)だったからよけいにね。若手時代にはハッピー&ブルーの公演で前座も務めてもらった。

彼女が捕まったあと、ハワイで偶然会ったんだよ。

「そんな大麻なんてやめたほうがいいよ」

と声をかけたら、

「いや~」

って声を詰まらせて、申し訳なさそうにしてたな。

77年9月29日、研ナオコのマンションにガサ入れがあり、3グラムのマリファナが押収された。

そもそもの入手先は元恋人の男だったが、別れてからの入手先を追及されると、内藤やす子から譲り受けたことを自供したのだ。

今は個室の楽屋が与えられるけど、昔はNHKから何からみんな一緒だったから、歌手同士の横のつながりも深くて、変な情報交換まであったんだろうな。

[via:http://www.asagei.com/excerpt/76440]

カネを借りに来た美川憲一

美川(憲一)くんなんか、しょっちゅう、俺の自宅兼事務所のマンションに来てたよ。84年頃かな? 要するにカネがないんですよ。いろんなところにカネを借りまくってどうにもならなくなると、俺のところに来るわけ。

何度も貸したけど、一度に渡すのは100万円ぐらいだったと思います。返済? ちゃんとしてくれました。《中略》

ある日、美川くんは「引っ越したい」と言って物件を探していたんです。その足で、都内にあったウチのマンションに寄るってことになった。

そろそろ来るかなと、ふと窓から下を見ると、美川くんは2人の男につけられてたんだよ。それまで問いただしたことなんてなかったけど、暗黙の了解でまた手を出しているだろうことは想像がついたから、

「美川くん、気をつけろよ、尾行されてるぞ!」

そう忠告したんだけど、その日、帰って行ったら、次の日にパクられました。

84年8月23日、美川は大麻所持の現行犯で自宅マンションにて逮捕された。77年以来2度目の逮捕だった。

美川の釈明記者会見に芸能レポーターとしてマイクを向けた目黒区議の須藤甚一郎氏はこう言う。

「美川の2度目の逮捕時、自宅のマンションがガサ入れされて、フランス人形のパンティの中に隠された大麻が出てきたんだよね。昔は捕まったあとに釈明の記者会見をやったもんだけど、最近のタレントたちはやらなくなったなぁ」

2度目の逮捕後、数年を経て、美川はコロッケのものまねによって復活、大ブレイクする。《中略》

そういえば、美川くんのものまねをしてるコロッケを芸能界に入れたの、俺だから。

コロッケは敏と同じ熊本出身。ハッピー&ブルーの元メンバーが設立した芸能プロに敏が紹介したことで、コロッケは芸能界デビューを果たしたという。

そのコロッケも美川をまねたわけではあるまいが、82年1月21日、大麻で取り調べを受けている(不起訴)。「コロッケ、あがる!」との見出しになったスポーツ紙の1面は伝説となった。

[via:http://www.asagei.com/excerpt/76444]

清水健太郎は病気

ところで、現在の「薬物に手を出したら芸能界追放」という、芸能マスコミの最近の風潮は行き過ぎだと須藤氏は言う。

「美川憲一だってショーケンだって、復活して活躍してるわけでしょ? 田代まさしや清水健太郎の場合は、薬物の恐ろしさを伝えるという貢献もできるわけで。芸能界ってのは懐が深いからね。何度でもやり直しがきくんですよ」

名前が出た清水健太郎は過去に薬物での逮捕歴が計6回(83年、86年、94年、04年、10年、13年)を数える。03年、それまでに3度逮捕されていた清水をみずからの事務所に受け入れたのが敏だったのである。

そもそも清水健太郎を芸能界に入れたのも俺だったからな。研ナオコ同様、昭ちゃんに紹介したんだよ。知り合ったのは「ぎんざNOW!」時代かな。彼がヤンチャでケンカっ早いのは、俺らがバックにいたからだろう。

03年頃、ウチの事務所に入れる時、健太郎に「絶対、クスリに手を出すなよ!」と何度も確認したんだよ。そしたら、本人は姿勢を正して、「ハイ! ハイ!」って、ちゃんと俺の目を見て答えたから信じたんだ。

彼との一番の思い出は、サイパンの隣にテニアンって小さな島があるんだけど、そこのカジノで「清水健太郎&敏いとうとハッピー&ブルー」のディナーショーを開いたこと。日本からツアー組んでね。あれは儲かりましたよ。

でも、そのテニアン島での夜、健太郎の会話がとにかく妙に熱かった。自分のことしか見えてないというか、人の話をまったく聞かないで、ずーと、1点を見て1人でしゃべってた。正直、また、やってんじゃないか? と思ったら‥‥。
敏の悪い予感が的中した。04年5月29日、清水は覚醒剤取締法違反で4度目の逮捕となる。

当時、清水はVシネの「雀鬼」シリーズなどがヒットし「Vシネの帝王」と呼ばれ、人気を回復していたものだが、その輝きをまたもやみずから手放した。逮捕によって周囲に迷惑をかけることも、繰り返し学んできたはずだが‥‥。

捕まる半年前にシングルCD「OYAJI(親父)」をリリースしたんだけど、捕まっちゃったから売れなくて廃盤。CDを回収して500万円の大損だよ。まぁ、しょうがねぇなって。

あれは治らないよ。病気だからね。

[via:http://www.asagei.com/excerpt/76444]

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コメント

  1. 1
    名無しさん 2017/03/09 9:58

    セッくす オンザ ビーチというカクテルがあってだな

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