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「裕也から千帆へ」秘密のラブレターに也哉子さん絶句も…わだかまり解けた。ミステリーだった母と父

30日に営まれた女優、樹木希林さんの葬儀・告別式で、喪主は喪主は夫でロック歌手の内田裕也さん(78)が務めた。

しかし、内田さんの体調を考慮し、長女でエッセイストの内田也哉子さん(42)が遺族代表のあいさつに立った。主な内容は次の通り。

「私にとって母を語るのに、父、内田裕也をなくして語れません。

本来なら、このような場で語ることではないのかもしれませんが、思えば、内田家は数少ない互いへのメッセージ発信をいつも大勢の方々の承認のもとに行っていた“奇妙な家族”でした。

また生前、母は恥ずかしいことこそ、人前でさらけ出すというやっかいな性分だったので、皆様が困らない程度に少しお話しさせてください。

私が結婚するまでの19年間、うちは母と私の2人きりの家庭でした。

そこにまるで、象徴としてのみ君臨する父でしたが、何をするにも私たちにとって大きな存在だったことは確かです。

幼かった私は不在の父の重すぎる存在に、押しつぶされそうになることもありました。

ところが困った私が、『なぜこのような関係を続けるのか』と母を問い詰めると、平然と『だってお父さんにはひとかけら、純なものがあるから』と私を黙らせるのです。

自分の親とはいえ、人それぞれの選択があると頭ではわかりつつも、やはり私の中では、永遠にわかりようもないミステリーでした。

ほんの数日前、母の書庫で探しものをしていると、小さなアルバムを見つけました。

母の友人や、私が子供の頃に外国から送った手紙が丁寧に貼られたページをめくると、ロンドンのホテルの色あせた便箋に目が留まりました。それは母がまだ悠木千帆と名乗っていた頃に、父から届いたエアメールです。

『今度は千帆と一緒に来たいです。結婚1周年は帰ってから2人きりで。蔵王とロサンゼルスというのも、世界中にあまりない記念日です。この1年、いろいろ迷惑をかけて反省しています。

裕也に経済力があれば、もっとトラブルも少なくなるでしょう。

俺の夢とギャンブルで高価な代償を払わせていることはよく自覚しています。突き詰めて考えると、自分自身の矛盾に大きくぶつかるのです。

ロックをビジネスとして考えなければならないときが来たのでしょうか。最近、ことわざが自分に当てはまるような気がしてならないのです。早くジレンマの回答が得られるように祈ってください。落ち着きと、ずるさの共存にならないようにも。

メシ、この野郎、てめぇ…でも、本当に心から愛しています。

1974年10月19日 ロンドンにて 裕也』

今まで想像すらしなかった、勝手だけれど、父から母への感謝と親密な思いが詰まった手紙に、私はしばし絶句してしまいました。

普段は手に負えない父の、混沌(こんとん)と、苦悩と、純粋さが妙に腑に落ち、母が誰にも見せることなく、大切に自分の本棚にしまってあったことに納得してしまいました。

そして、長年、心の何処かで許しがたかった父と母のあり方へのわだかまりがすーっと解けていくのを感じたのです。

こんな単純なことで、長年かけて形成されたわだかまりが解け出すはずがないと自分にあきれつつも、母が時折、自虐的に笑って言いました。

『私が他所から内田家に嫁いで、本木さんにも内田家を継いでもらって、みんなで一生懸命、家を支えているけど、肝心の内田さんがいないのよね』と。

でも、私が唯一親孝行できたとすれば、本木さんと結婚したことかもしれません。(本木さんは)時には本気で母の悪いところをダメ出しし、意を決して暴れる父を殴ってくれ、そして、私以上に両親を面白がり、大切にしてくれました。

何でもあけすけな母とは対照的に、少し体裁のすぎる夫ですが、家長不在だった内田家に、静かにずしりと存在してくれる光景はいまだにシュール過ぎて、少し感動的ですらあります。

けれども、この絶妙なバランスが欠けてしまった今、新たな内田家の均衡を模索するときが来てしまいました。

おじけづいている私はいつか言われた母の言葉を必死で記憶から手繰り寄せます。

『おごらず、人と比べず、面白がって、平気に生きればいい』

まだたくさんすべきことがありますが、ひとまず焦らず家族それぞれの日々を大切に歩めたらと願っております。

生前母は、密葬でお願いと、私に言っておりましたが、結果的に光林寺でこのように親しかった皆さんとお別れができたこと、またそれに際し、たくさんの方々のご協力をいただく中で、皆さまと母との唯一無二の交流が垣間見えたことは残されたものとして、大きな心の支えになります。

皆さま、お一人お一人からの生前のご厚情に深く感謝しつつ、どうぞ、故人同様、お付き合いいただき、ご指導いただけますことをお願い申し上げます。

本日は誠にありがとうございました」

[via:産経ニュース]
https://www.sankei.com/life/news/180930/lif1809300034-n1.html

入院中「夫に会いたい」

葬儀の前には長女の内田也哉子(ややこ)さんの夫で、俳優の本木雅弘さんが報道陣の取材に応じた。

本木さんは「まだ家族としては落ち着いて振り返る余裕がないのですが、報道の方が私たちも知らないことも含めて、いろいろな形で取り上げて下さって、まだ生きているような気分です」と心情を明かした。

樹木さんは「自然に朽ちていきたい」という強い思いがあったといい、「春のうちに余命宣告もされたが、自然な終末に向かって、とにかく普通でいてくれ、と言われた。夏休みの思い出づくりもかたくなに(拒み)、私を理由にスケジュールを変えないでほしいと言われた」と語った。

余命宣告後は「それがはっきりしたから私も準備を進めるわね」と語っていた。

「自分の体や仕事にどう決着をつけるかとか、遺産も、残った者が困らないようにきちんとするとか。『お葬式は自分の好きな光林寺で出来るかどうか確かめましょう』と私たちと一緒に下見に行きました。『でも私が先か裕也が先か分からないわよ』とあっけらかんと言っていました」と振り返った。

樹木さんの夫、内田裕也さんについても「(樹木さんが大腿(だいたい)部の骨折で)入院中に、也哉子が婦長さんに呼ばれて、『樹木さんが毎晩、裕也さんに会いたいとおっしゃっていますよ』と言われたんです。『え? 本当ですか』と思いました」と話した。

臨終の様子について、本木さんはこう語った。

「(孫の)雅楽(うた)が手を握り、もう一方の手を私がさすって、玄兎(げんと)が頭をなでて、也哉子が米国にいる伽羅の顔をスマホで見せていました。

そして、私がもう一つの電話で裕也さんの声を聞かせているという状態でした。裕也さんが『しっかりしろ』と言うと樹木さんは雅楽の手をぎゅっと握りました。声が聞こえているようでした。

そのうちだんだん呼吸の間隔が開いていき、静かに消えていったという感じでした」

翌日、樹木さんと対面した裕也さんは「きれいだ、きれいだ。昔から美人だと思っていたんだ」と笑いながらビールで献杯したという。

納棺の際には、浅田美代子さんが「好きだったワインを」と言って、みんなで赤ワインで唇をぬらしたという。「玄兎が『ばあば、よく生きたね』と言って、花を入れていました。樹木さんは子どもたちに『自分の死にざまを見てもらいたい。それが私の願いなの』と話していたので、満足しているんじゃないか。そう思いたいです」

火葬の後、「骨つぼのふたを閉めようとしたら、裕也さんが『ちょっと待って』と言って、あごの部分の骨を拾ってハンカチに包み、ポケットにしまっていました」。

「樹木さんはすべての人に対して常に何かをもたらしてくれる人でした」と言う。

「率直に感想を述べてチクリと問題提起をし、そして一緒に考えて、でも、相手の答えを急がさず、放置することもない。人間に寄り添うのがとても好きな人でした」

寺院には、花で囲まれた遺影と遺骨の前に献花台が置かれた。台風24号の接近による雨の中、近親者や芸能関係者らが姿を見せた。

喪主は夫でロックミュージシャンの裕也さん。戒名は「希鏡啓心大姉」になった。役者は人の心を映す鏡という意味を込め、本木さんと也哉子さんが住職と相談して決めたという。

樹木さんは2005年に乳がんの手術を受け、その後全身にがんがあると公表していた。故人の遺志で通夜は近親者のみで行った。

[via:朝日新聞デジタル]
https://www.asahi.com/articles/ASL9Y7T99L9YUCVL006.html

ネットの反応

・素晴らしい挨拶と思う
・ややこ、文章うまいなぁ すごい文才ある
・これテレビで見て泣けたわ
・でも19で結婚してしかも相手がモックンなんて勝ちすぎるなぁ
・ずっと別居してたとは言え樹木希林以外に内田裕也みたいな人間の妻になれる女なんていないんだよ結局
・この夫婦見ると、身体の距離は離れてても、心の距離は近かったんだなって感じる
・モッくん、内田裕也殴ったのか すげーな
・モックンが暴れる裕也を殴った話が好き
・樹木希林の人間としての器が大きかっただけで、内田裕也がクズだった事に変わりはないだろ
・裕也は意外とまともな男だよ むしろきりんの方が危なかった
・40年前のちょうど今頃、林檎殺人事件が一世を風靡していた あの時のダンス、今でも目に浮かぶ
・ややこの語りもすごく胸にくるし、明かされた手紙が震える美しさだしで、映画を上回りすぎてるなこの家は

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