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近藤真彦ジャニーズ退所でわかった人望のなさ ケジメ拒否に東山が激オコ批判 マッチはクズだった!?

昨年11月に25歳年下の女性との不倫が発覚し活動自粛中だった近藤真彦が、4月30日付で所属していたジャニーズ事務所を退所した。

近藤は「この度の一連の騒動におきましては、ファンの皆様、関係者の皆様にご心配ご迷惑をお掛け致しましたこと、お詫び申し上げます」とコメントしており、不倫騒動が退所の原因であることがうかがえる。

ジャニーズ事務所は「近藤より、これからの人生、自分の責任において芸能とレースの道を歩んでいきたいとの申し出がございましたので、弊社としましては、その意向を尊重し、自身で決めた道へと送り出すことといたしました」と説明。

“ジャニーズの長男”の新たな門出に際し背中を押すような言葉を並べているが、他の芸能事務所幹部はいう。

「いわゆる“リストラ”ですよ。(藤島)ジュリー(景子)社長・滝沢(秀明)副社長の新体制になった今のジャニーズにとって、事務所を引っ張っていくべき立場にありながらネームバリューに胡坐をかき、レースのことばかりして、事務所のために働こうとしない近藤は“金食い虫”。

あげくに不倫スキャンダルでは、ただのお荷物にすぎないわけです。(創業者の)ジャニー(喜多川元社長)さんがいれば、なんとかしてくれたかもしれませんが、今のジャニーズはタッキーを中心として、King & PrinceやSnow Man、SixTONESなどの若手、さらにはメジャーデビュー前の『美 少年』や『なにわ男子』をはじめとするジャニーズJr.たちの育成、売り出しに心血を注いでいる。

そういう事務所内部の大きな変革の流れの上に、相次ぐタレントの対処やTOKIOの分社化、V6の解散もあるわけです。

相変わらず事務所の経営に尽力することなく、じっと“長男”というポジションで安寧としていた近藤でしたが、活動休止のまま塩漬けにされ、これ以上ジャニーズの看板にしがみついていられないと気づいたのでしょう」

もっとも、近年の近藤といえば、35周年を迎えた2015年に記念のライブツアーをして『NHK紅白歌合戦』に出た以外では、歌手としても俳優としても目立った活動はしておらず、もっぱら自身が率いるカーレースチームの活動に注力していた。

ジャニーズ退所後は、自身が代表を務めるエムケイカンパニーとKONDO RACINGに軸足を置き、レース活動と芸能活動を継続していくという。

「レースを続けるには多額のお金がかかるし、会社スタッフへの給与も払っていかなければならず、芸能活動を続ける必要がある。

不倫騒動を起こした以上、ジャニーズに残ったままではそれも難しいということで、やむなく退所したということでしょう。

しかし、スキャンダルのイメージが薄れないままジャニーズを離れた近藤に、CMやコンサート、テレビの仕事などが入る可能性は低い。さらに、レース活動のほうもスポンサーがつくのかは疑問で、早晩行き詰まりになるのでは」(テレビ局関係者)

そんな近藤に、ジャニーズタレント“ナンバー2”ともいわれる東山紀之(少年隊)が痛烈な批判を浴びせている。

東山「近藤さんには大きな失望感」

東山は2日、MCを務める情報番組『サンデーLIVE!!』(テレビ朝日系)に出演し。近藤の対処について次のようにコメントした。

「退所の仕方について大きな疑問が残る。後輩たちにもファンにも説明がなかったので。それは説明をしたくなかったのか、することができなかったのか、それとも、これからするのか。どういうふうになっていくのかは見ていく必要があると思う」

「マッチさんのために自分自身を犠牲にして助けてきたスタッフの方をたくさん知っているので、その人たちの思いをマッチさんはどう受け止めているのか。そのことを考えると、退所のコメントでもすごく薄っぺらく感じる」

「やはり、こういう事務所の中でも、世の中的にも年を経て、責任は変わってくると思う。その責任を果たしていない、近藤真彦さんには大変大きな失望感があります」

こうした厳しいコメントが東山の口から出た背景について、テレビ局関係者はいう。

「日頃から積極的に後輩タレントたちを食事に誘って相談に乗るなどして、信頼が厚い東山ですが、今ではタッキーをはじめ経営陣をサポートしていくと腹をくくっている。

ジャニーさんに近かったこともあり、事務所の将来に危機感を持っている東山は、自分の仕事でも積極的にJr.メンバーたちを共演させるなどして、事務所のために汗をかいているわけです。

そんな東山の口から今回、近藤への厳しい言葉が出た裏には、最古参のベテランである近藤の“ふがいなさ”への忸怩たる思いに加え、事務所内の“引き締め”という意図もあったのではないかと感じます」

近藤の退所により、ジャニーズは新たなフェーズに入ったのかもしれない。

[via:Business Journal]
https://biz-journal.jp/2021/05/post_223935.html


東山“激オコ”のワケ

東山は、昨年11月に近藤の不倫問題が発覚して無期限の芸能活動自粛となった時も、

「事務所の中でも世の中的にも年を経て、責任は変わってくると思う。その責任を果たしていない、近藤真彦さんには大変大きな失望感があります」

などとコメントしていただけに、責任を果たさないまま「おれ、や~めた」という今回の近藤の態度を許せなかったのも無理はないだろう。

「マッチ(近藤)は自分の活躍があったからこそ事務所が大きくなり、今の人気があるという自負がある。他方、ヒガシ(東山)は、少年隊など後輩たちの頑張りがあってこその事務所であり、決して個人の力ではないと思っている。

舞台などを真面目にこなすストイックなヒガシにとって、マッチはレースなど自分の好きなことばかりやってきた、と映っているのかもしれません。

サラリーマン社会でいえば、組織を大事にする中間管理職のヒガシ、昔はトップセールスマンだったが今は好きなことばかりやっている万年ヒラ係長のマッチというところでしょうか。

そういう構図でみると、よりによって事務所が大変な時に不倫して芸能活動自粛に追い込まれた揚げ句、ハイさよなら、と辞表を叩きつけた格好のマッチに対して、ヒガシが『お前何やってんの。いい加減にしろよ!』と激オコになるのも当然でしょう」(スポーツ紙記者)

マッチはまず、サラリーマンの心得から学んだ方がいいかもしれない。

[via:日刊ゲンダイ]
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/288755

退所でわかった人望のなさ

近藤の事務所内での孤立は不倫発覚前から始まっていた。どうしてなのか。

「近藤さんは1980年代に次々とヒットを出し、事務所を支えた立役者なので、ヒットが途絶えた後も特別扱いされていました。

けれど、近藤さんの活躍は若い所属タレントにとっては自分が生まれる前の話。近藤さんの特別扱いを若手は素直に受け止められなかった」(同・レコード会社幹部)

今でこそ「帝国」とまで呼ばれるジャニーズ事務所だが、1975年に郷ひろみ(65)が移籍し、1978年にフォーリーブスが解散した後はスター不在で苦戦。そこに現れたのが近藤だった。

「スニーカーぶる〜す」(1980年)、「ギンギラギンにさりげなく」(1981年)、「ハイティーン・ブギ」(1982年)などを次々とヒットさせた。事務所の救世主だったと言っても過言ではない。

けれど、若手たちには実感の湧かない話。「近藤さんのことを売上面で事務所に貢献していない人と見ていたのではないか」(同・レコード会社幹部)。

それでいて事務所が望んでいるわけでもないカーレースに熱中していたので、近藤は敬遠されてしまうようになった。

近藤が事務所の「長男」を自称し、兄貴風を吹かせたことも若手には煙たかったようだ。近藤の態度は副社長に就いた後の滝沢氏に対しても同じだった。

「滝沢さんは才能と努力をジャニーさんに買われて副社長になった人。正当な後継者です。無論、メリーさんとジュリーさんにも認められてのこと。

しかし近藤さんにはその認識が薄かった。自分が格上だと思い続けていたのではないでしょうか。滝沢さんとしては愉快ではなかったでしょう」(民放番組制作スタッフ)

近藤に次ぐ事務所の次男と目されてきた東山紀之は滝沢氏が副社長に就くと、すぐ祝意を示し、全面協力を約束した。TOKIOの城島茂(50)らほかの先輩たちもそう。近藤との差は歴然だった。

そして不倫の発覚が近藤の孤立を決定的なものにした。事務所スタッフたちの努力を水の泡にしてしまったからだ。

近藤は昨年、芸能生活40周年だったため、スタッフは同12月12日のデビュー日に向け、お祝いムードを高めようと懸命になっていた。テレビ出演などをお膳立てした。長くヒットがないのだから、スタッフの努力がないとテレビ出演はできない。

ところが、近藤自身の責任で同11月中旬から活動自粛となったため、同12月2日に出演するはずだったフジテレビ『FNS歌謡祭』などの番組を全て辞退する羽目に。

努力を無にされたスタッフは落胆しただろうし、それを笑って見ている所属タレントはいない。近藤への視線はより厳しくなり、事務所内には居場所がないような状態になってしまった。《中略》

ただし、例え引退しようが生活に困ることはない。

「近藤さんはジャニーズ事務所の関連会社の株を譲渡されている。関連企業はいずれも高収益を上げているので、定期的に高額の配当を手にできる」(前出・民放番組制作スタッフ)

これも特別扱いの1つ。不公平感が生じ、若手との距離が広がってしまった理由でもある。

[via:デイリー新潮]
https://www.dailyshincho.jp/article/2021/05031701/

ネットの反応

・これは正論
・挨拶もなしにとんずらやからな
・ヒガシ長男の方がふさわしいよな
・誰かが苦言を呈さないと示しがつかないからね。
・マッチが一般人まで広くしょうもない男と知れ渡った
・ここまでこの人を甘やかしてきた事務所にも疑問が残る。
・愚か者よ
・金屏風の前で退所会見すべき
・不採算物件w
・ジャニオタから忌み嫌われてる印象しかない
・明菜にあんな仕打ちしたんだから最後自分に返ってきた
・同級生で仲の良い友達だった野々村真に「言葉には気をつけてください」と注意したらしいw
・辞めたとたんこの言いぐさは単純に嫌われとったんやな
・芸能レポーターもジャニーズ辞めたとたんにボロクソ言うとった
・ジャニーズの後ろ盾がなくなった途端、袋叩きにされるんだ
・いてもメリットはないが今やめると事務所の衰退が強調される
・東山は言葉選んでるけど元々ずっとクズやろこの人
・不倫で謹慎責任を果たせ言うのもな
・パワハラ気質やな 普通会社やめるなら一身上の都合で終わりやで
・いつまでも昭和のアイドル 時代に適応できなかっただけのこと
・マッチってほんの数年売れただけのアイドルでしょ
・全盛期の稼働期間2、3年ぽっち程度の功績(威光)で40年近く何もせずデカい顔して居座れたのだから超勝ち組だよ
・実質、救世主だったのは田原俊彦。
・ヨッちゃんだけ自由に生きてるな
・最近の退所者を見ているとジャニーズの時代は終わった感があるな
・中森明菜の件は忘れねぇからな!
・「自分が助けた」とヒーローみたいな顔した横で明菜が悲しそうな顔していたのよく覚えてる。

中森明菜のトラウマ金屏風事件

まだバブル景気がピークを迎えた平成元年の芸能界で、一番の話題といえばこの2人の動向だったことは間違いないだろう。

平成元年の7月11日、中森明菜(当時23歳)が近藤真彦(当時24歳)の自宅で衝撃の自殺未遂を起こした。

仕事を終え六本木の自宅マンションに帰った近藤は、浴室に血まみれで横たわる明菜を発見。

明菜の自傷状態は左肘内側に深さ2センチ、長さ8センチの深いもので、神経に達するほどの重傷だった。すぐさま慈恵医大病院に運ばれ、6時間にも及ぶ手術の結果、一命を取り留める。

当時、現場を取材したベテラン記者が振り返る。

「すぐに結婚したかった明菜と、結婚は30歳を過ぎてからという近藤の考えには温度差があったわけですが、すでに6年間も交際をしていた明菜にとっては、近藤に全てを捧げる覚悟を持っていたに違いない状況でした。

当時、明菜が結婚後の新居のために蓄えていた数千万円の資金を、近藤が自身のカーレースに使い込んだなど、明菜が騙されているという報道が多くありました。

その中でも一番、明菜の心を砕いたのが最大のライバルであった松田聖子と近藤の、ニューヨークでの密会キス写真を写真週刊誌に掲載されたことだった。これが自殺未遂の最終的な引き金となったと言われています」

無念な表情の明菜

その後、約半年間も表舞台から姿を隠していた明菜は、12月31日の大晦日、夜10時過ぎという時間に緊急復帰会見を行なうことになる。テレビ朝日は大晦日の特番を急きょ変更して生中継にするなどの気合の入れようだった。

会見場には明菜だけではなく近藤の姿もあり、バックが金屏風というものだった。これは婚約発表会見ではないかと、現場の新聞記者たちが、元旦のトップ記事の差し替えや、見出しのやり取りでちょっとしたパニック状態になっていたという。

長かったロングヘアをショートにし、グレーのスーツ姿の明菜が姿を表すと、途切れることなくカメラのフラッシュが光り、シャッター音が鳴り響く。彼女は200人を超える報道陣を前に、深々と頭を下げていた。

自殺未遂に及んだ理由を仕事上の人間関係が原因としながらも、「一番最初に見つけてほしかった」と近藤への思いを静かに切々と話す。

会見に同席した近藤は、

「(復帰会見の)お手伝いが少しでもできたことに、すごく喜びを感じています」と他人事のように話し、リポーターからの「結婚は?」の質問に対しては「そういうことはまったくありません」と、明菜との6年間におよぶ恋愛すら否定してみせたのだ。

隣でうつむきながら近藤の話を聞いていた明菜は、最後に近藤に促されるように“友人として”握手をするという形で会見を終えた。

この時の明菜の表情は何ともいえない無念さをにじませていたのはいうまでもない。これがいわゆる“金屏風事件”だ。

その後、近藤はカーレースを続行していくが、本業の芸能活動は避けるように表舞台から遠のいていき、94年6月には一般女性と結婚。

克服できない“トラウマ”

90年に復帰した明菜はシングル『Dear Friend』や『水に挿した花』とヒットを飛ばす一方で、近藤との距離は離れていくばかり。

結果的に精神状態が不安定なまま、相次ぐ事務所とのトラブルや奇行などの問題が続き、歌唱力は高く評価されながらも活動を自粛していく。

その後、所属事務所やファンクラブに関するトラブルを繰り返すも、女優としてテレビドラマに出演するなど、ファンの前に顔は出していた。が、次第にその活動範囲は狭まり、2010年、体調不良により無期限の活動休止を発表。

4年後の14年、サプライズゲストとして紅白歌合戦に出場。その後も復帰を模索するがうまくいかず、16年には久しぶりとなるディナーショーを行った。そして、35周年メモリアルイヤーとなる17年もディナーショーで顔を見せるものの、昨年末はツアーも開催できないまま、年を越してしまう。

「今でも活動がうまくいかないのは、金屏風会見がトラウマとなっていることが克服できないからと言われています。騙される形で会見に引っ張り出された彼女は、大手の芸能関係者に嫌悪感を持っているんです。

メディアに囲まれるのをものすごく嫌がりますし、限られたスタッフ以外は信用ができないという状態で、大きな活動がしにくいわけです。周囲の信用できるスタッフは、恋人関係と言われるマネージャーのA氏を中心に限られた数人だけ。

前回のディナーショーは、ツアーイベントをやったことがなく、芸能界ではない人物が窓口だったので、大きな活動や継続がそもそも難しいのだと思います」(芸能界関係者)

現在は、アメリカと日本を行ったり来たりの生活をしているという明菜。

自殺未遂はアイドル全盛時代の中で、今では想像できないほどの大スキャンダルだったわけだが、30年を過ぎて今もなお、乗り越えることができない出来事となっているのかもしれない。

[via:デイリー新潮 2020/11/11]
https://www.jprime.jp/articles/-/19368

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コメント

  1. 1
    名無しさん 2021/05/07 8:44

    どこもかしこも、
    タレント「事務所を大きくしたのは俺様だ!」

    なのかもなw

  2. 2
    名無しさん 2021/05/07 11:35

    大戦犯は黒柳徹子甘やかしすぎ持ち上げすぎで勘違いさせた

  3. 3
    名無しさん 2021/05/07 12:06

    冒頭で事務所幹部がリストラとしておきながら近藤が勝手に辞めたかのように論調をシフトチェンジしていく論理矛盾な記事。
    東山の批判も事前に連絡が無いという内輪揉めなだけで我々には関係無い所での理屈で“薄っぺらい”

  4. 4
    名無しさん 2021/05/07 18:59

    明菜の自殺未遂なんて三十年以上前の事だろう そんなメンタルの弱さだから消えたんだよ 情けねえ スターになるには根性なかったね あとマッチに対しての嫉妬・妬み 男の嫉妬ほど、たちの悪いものはない。

  5. 5
    名無しさん 2021/05/08 14:49

    ヒガシはマッチに嫉妬しているのでは?
    だとしても、自分は少年隊あって人気があるんだよ?
    どうやってもピンでは負けてしまうと、どうして自覚しないの?
    自身もジャニーズクビにされてみな、奥様と同じ芸能事務所に所属。

  6. 6
    名無しさん 2021/05/09 5:15

    世間の認識では東山の方が断然人気でも活動内容でも上だろw
    近藤とか後輩連中からも煙たがれて嘲笑の対象でしかないな

  7. 7
    名無しさん 2021/05/11 2:18

    ちっとも男前でも無く音痴なくせに調子に乗りまくったんだと思う。
    売れたのも時代が良かっただけ。
    ジャニーズを救ったのは川崎麻世。
    東山はバラエティーでも大者ぶらず、奮闘して高感度。
    歌謡界の大スターになれた中森明菜を潰した罪は大きい。

  8. 8
    名無しさん 2021/10/03 17:14

    こいつは、中森明菜を見殺しにしたクズ💢この世から消えてくれ

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