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【訃報】西城秀樹(63)逝く 先月倒れ入院も意識は戻らず リハビリに励み最後まで歌手人生を全う


フジ『2016FNS歌謡祭』で「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」披露[2016年12月]

「傷だらけのローラ」「YOUNG MAN(Y.M.C.A)」などのヒット曲で知られる歌手の西城秀樹さん(さいじょう・ひでき、本名=木本龍雄、きもと・たつお)さんが16日午後11時53分、急性心不全のため死去した。63歳だった。

2003年と11年に脳梗塞を発症した西城さんは、後遺症やリハビリと闘いながらステージに立ち続けた。郷ひろみ(62)、野口五郎(62)らと「新・御三家」として70年代に一世風靡(ふうび)した。

永遠の“ヤングマン”が天国へと旅立った。

48歳、56歳の時に脳梗塞を2度発症。右半身のまひや言語障害などの後遺症が残ったが、壮絶なリハビリで回復。4月にコンサート出演するなど、最後までステージにこだわった。

甘いマスクに長髪をなびかせ、エネルギッシュに熱唱するスタイルで女性ファンをとりこにした。

1974年には「傷だらけのローラ」で日本レコード大賞歌唱賞を受賞。「薔薇の鎖」では敬愛する英歌手ロッド・スチュワートばりにスタンドマイクを振り回すアクションで人気を集めた。

79年の「YOUNGMAN」は約140万枚の大ヒットを記録した。自身も考案に携わった「YMCA」の4文字を両手で表現する振り付けも大流行。80年のセンバツ高校野球大会の入場行進曲、近年はCMソングに起用され、世代を超えて愛された。

音楽を愛し続けた63年間だった。ジャズ好きの父親の影響を受け、小学3年生で地元のジャズスクールに通いドラムを始めた。

中学1年生の時は3歳上の兄らとバンドを結成し、ビートルズなどの楽曲を披露。楽器を購入するために新聞配達のアルバイトもこなし、岩国の米軍キャンプでも演奏した。 

広島・山陽高時代にジャズ喫茶で歌っていた時にスカウトされ、「ワイルドな17歳」をキャッチフレーズにデビュー。郷、野口と“新御三家”としてスターへの階段を駆け上った。

私生活では46歳まで独身を貫いたが、2001年に妻・美紀さんと結婚。2男1女と子宝に恵まれた。

幸せまっただ中の03年、突如病魔に襲われた。ディナーショーで訪れた韓国・済州島で脳梗塞を発症。11年に再発し、右足を引きずるなど後遺症が残ったが、家族に支えられながらリハビリに励んだ。


リハビリに励む西城秀樹[2016年9月]

1日3~4箱吸っていたタバコも断った。60歳を迎えた15年4月にライブを開催し、「ヒデキ、還暦!」とさらなる活躍を誓っていた。

西城さんは09年にスポーツ報知のインタビューで、死ぬ間際まで役者人生を全うした緒形拳さん(08年死去)を理想に挙げた。

「緒形さんのように自分の体が滅びていくまで仕事ができるか。僕は弱い人間だから自信がないけど。これからさらに鎧(よろい)がもう一つできて強くなれるかな」。

その言葉通り、最後まで歌手人生を全うした。

[via:スポーツ報知]
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180517-00010000-spht-ent

先月倒れ入院も意識は戻らず

関係者によれば先月25日、自宅で過ごしていたところに「急に倒れた」。そのまま横浜市内の病院に救急搬送され入院をしていた。「結局、意識は戻らず」亡くなってしまったという。

2度の脳梗塞で倒れてから、万全の体調というわけではなかったが、近年はコンサートなど精力的にこなしていた。

「誕生日(4月13日)の次の日もコンサートを行ってましたし、倒れる前も体調は悪くなかったのですが」(前出の関係者)と語った。

通夜は25日午後6時、葬儀・告別式は26日午前11時から、いずれも青山葬儀所で営まれる。喪主は妻木本美紀(きもと・みき)さん。

[via:東スポ]
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/1011316/

郷ひろみが追悼

西城さんの訃報を受け、郷ひろみ(62)が17日、所属事務所を通じてコメントを発表した。以下、コメント全文

同世代として、とても残念です。

ボクの中で長男は五郎、

次男は秀樹

末っ子がボクでした。

秀樹が先に逝ってしまったこと、とても悲しい気持ちでいっぱいです。

デビュー当時、右も左もわからなかったボクに「ひろみ、何かわからないことがあったらオレに聞いてくれ」と親身になってくれたこと、一生忘れません。

こころからお悔やみ申し上げます。

[via:http://www.asahi.com/and_w/interest/entertainment/CORI2111600.html]

野口五郎
「少し時間を下さい」

西城さんの訃報を受け、野口五郎(62)が17日に所属事務所を通じてコメントを発表した。

「余りにも突然で今は言葉が見つかりません」

「気持ちの整理がつくまで少し時間を下さい。申し訳ありません」

[via:https://woman.excite.co.jp/article/lifestyle/rid_OriconStyle_2111603/]

ネットの反応

・ついにか
・まぢか(´・ω・`)
・まだ若いのに…
・病気とはわかっていたがこれはショック… 合掌
・追悼

芸能界の育ての親「芸映」青木伸樹会長の通夜にて[2016年6月16日]
 >脳梗塞がキツかったんだな…
 >本人も家族や周囲の人間も、想像を絶する苦しみだったと思う ご冥福を
・若いな 見た目年齢はもっと若かったから実感が湧かない ご冥福を
・良い声だったのにな。安らかに。
・BOOWYの氷室は最初、声で西城秀樹と間違えられてた
・御三家の一角が…
・70年代の格好良い歌手のお一人でした
 ベストテンの9999は今なお語りぐさとなるでしょう
 ご冥福をお祈りします
・訃報の速報が流れた瞬間の『バイキング』みんなびっくり

・ジュリーがまだ元気でやってるのにヒデキが先に逝くとは…
・脳梗塞やるとやっぱりなんやかんやで長生きできんな
・正直この人は若いけどついにきた感があるよね・・悲しいけど
・お子さん達がまだ小さく気の毒や
・秀樹、還暦なんて冗談飛ばしてまだ5年もたってないのに
・夕食は追悼バーモントカレーだな(´;ω;`)

還暦祝いライブで配られた『ヒデキ還暦バーモントカレー』(非売品)[2015年4月]
・阿久悠作詞 昭和の隠れた名曲「ブルースカイブルー」

【追悼】YOUNG MAN(Y.M.C.A)誕生秘話

西城秀樹といえばYMCA。

ヴィレッジ・ピープル「Y.M.C.A.」のカヴァー曲である。ヴィレッジ・ピープルは、元々ゲイをコンセプトにメンバーが集められたダンスミュージックユニット。

「Y.M.C.A.」はゲイ賛歌として世界中で1000万枚を超える大ヒットしていた曲。

「Y.M.C.A.」とはゲイを指すスラングでもあり、元になる(Young Men’s Christian Association)とは、キリスト教青年会による若者(主に男性)のための宿泊施設のことを指すが、ユースホステルのようなドミトリー(相部屋)の部屋もあるため「ゲイの巣窟」とされていた。

CM撮影でロサンゼルスに行った時、ラジオをから流れてきたこの曲を聴いた秀樹は、「この曲を日本語で歌ってみたい」、そう思い帰国後スタッフに提案した。

しかし当時は外国曲のカバーは売れないという定説があり、さらにゲイは日本ではまだタブーなこともあり事務所は猛反対。

でも秀樹は「そんなことどうでもいい。この歌でみんなを元気にしたい。できる、この歌で」とプロジェクトを自らが進めたという。

そこで試しに日本語の歌詞をつけコンサートで歌ったところ会場は大盛り上がり、ファンからテレビ局やラジオ局に「ヤングマン」のリクエストが殺到した。

慌てた事務所は急遽レコード化を決定。しかし、この時すでに工場では次の新曲の製作に取り掛かっていた。

事務所は工場に作業を中止させ、新たにヤングマンのレコード製作を依頼。

ところが、いきなりの作業変更に工場の人たちは怒り心頭。作業は全く止まってしまった。

発売日まで20日を切っていた。西城秀樹は当時、神奈川県大和市にあったビクターのレコード工場に向かった。

「どうしてもこの曲をレコードにしたいんです!お願いします!」

と1人1人に頭を下げ、工場の中庭で「ヤングマン」を聞いてもらった。

すると、西城の熱意が伝わりレコードプレス作業が再開、「ヤングマン」は無事完成した。

こうして「ヤングマン」は売上総数80万枚を記録し、5週連続オリコン1位を獲得!歌謡賞を総ナメにした。

[via:人生が変わる!1分間の深イイ話]

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コメント

  1. 1
    名無しさん 2018/05/17 17:40

    kの法則発動か?
    いやまてよ この人在コだろ
    カンケーねーか

  2. 2
    名無しさん 2018/05/17 21:32

    広島県人だけど、秀樹に悪いイメージはないよ。
    ただ、親族は本当に糞だけどな。
    家族の負が秀樹にいったんじゃないかとは最初の脳梗塞の時はたびたび聞いたよ。

  3. 3
    名無しさん 2018/05/17 23:28

    ちびまる子ちゃんのお姉ちゃんも悲しんでる事でしょう。
    ご冥福をお祈りします。

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