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女優、タレントの知られざる極貧伝説

タレント・上原美優(23)が、貧乏アイドルとして脚光を浴びたのが’08年ごろ。彼女に限らず、今をときめくスターたちの中には、無名時代に貧しい生活を経験した者は多い。
そこで今回は、意外な人気女優たちの極貧時代を紹介してみよう。

2月25日、フィリピン・マニラから帰国し、成田空港で覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕された小向美奈子(25)。

小向容疑者は’09年に同容疑で逮捕、起訴。その後、ストリッパーに転身して注目を浴び、芸能界復帰も近いと思われていた矢先のことだった。

小向美奈子
その小向がグラドルとしてデビューしたのは15歳。渋谷センター街のマクドナルドに男友達数人と一緒にいた際、後に所属する芸能事務所のマネジャーにスカウトされたのがきっかけだった。

デビュー前の小向と接点があった某芸能関係者によれば、当時の小向は家出を繰り返し、ギャルのメッカだった渋谷センター街をウロついていたのだという。

「実家が埼玉の小向は、家出同然の状態で渋谷に来ていました。当時、すでに小さな芸能事務所に出入りし、少しは芸能関係の仕事もしていました。

未成年だったのでキャバ嬢は無理でしたが、キャバのビラ配りのバイトをしていました。彼女自身かわいいから、ビラを受け通った客が店に入ることが多く、そこそこ稼いでいたようです。

しかし、遊びまくっていたので常に金欠状態。それで男友達にごちそうになったり、家を泊まり歩いたりしていました。泊まった際には、お礼代わりのエッチも多かったようですよ」

実は、こう話す同氏が“一宿一飯の恩義”に預かった1人。「当時から胸はデカかったですが、体つきは子供でした。ただ、話すことはずいぶんと大人でしたよ」と振り返る。

小西真奈美
セレブなイメージの強い本格派女優にも意外な貧乏話はある。まずは昨年、福山雅治(42)と結婚説が浮上した小西真奈美(32)だ。

鹿児島出身の小西は、小学生時代に両親の離婚を経験。母子家庭で、家賃1万円程度の市営住宅に住んでいたという。

「彼女の母親は、昼は事務員、夜は菓子屋の店員として働き、家計をやりくりしていました。子供のころの夢は、家に友達を呼んで誕生会をすること。

冬場にお湯が使えないほど貧乏で、水で洗い物をしていたほどです。ひび割れを防ぐためにハンドクリームを使っていたため、今でもハンドクリームを見ると、そのころを思い出すという。

一説によると、かつて小西の苦労時代の話をドラマ化しようとオファーした局がありましたが、見事断られたとか」(女性誌記者)

小西は高校時代、家計を助けるため寿司屋や美容院でバイトする一方、テニス部に所属し、柔道部のマネジャーも務めていたというから大したものだ。

麻生久美子
「ザリガニがごちそうでした」との衝撃告白で知られるのが麻生久美子(32)。週刊誌などで、過去の壮絶な貧乏ぶりが語られている。

千葉県山武郡という田舎で生まれ育った麻生。父親はとにかく金遣いが荒く、麻雀で一晩20万円使うこともあったそうだ。

「父親が遊ぶ金は、生活費や貯蓄から出て行くので、生活は困窮していました。そのため母親は、父親が作った借金を必死で働いて完済したうえで離婚したのです」(スポーツ紙記者)

離婚後、某ファストフード店で働きながら、母親は麻生と弟の2人を養っていたが、ザリガニや木の実、雑草を食べて生活していたというのだ。

「貧乏ゆえに、幼いころはかなり過酷なイジメにあいましたが、芸能人になるという夢を持ち続けて成功しました。’07年ブルーリボン賞を受賞した際、壇上に母親が呼ばれて感涙。そこで親子のサクセスストーリーが完結したわけです」(スポーツ紙記者)

山田優
山田優(26)も下積み時代の貧乏エピソードを披露したことがある。

「以前、ドラマの制作発表などで話していたことがあります。高校時代に沖縄から上京して芸能活動を始めたのですが、当初はさっぱり売れず、給料日の2、3日前は100円、200円で過ごし、実家から送られてきた缶詰と安い野菜を買って自炊していました。

さらに小遣いがなくなると、渋谷から当時住んでいた駒沢大学まで歩いて帰っていたそうです。電車賃でお金を使ってしまうと、ご飯が食べられなくなるからとも言っていました」(女性誌記者)

菅野美穂
今やTV・CMで大活躍の菅野美穂(33)にはこんな話が。
「子供時代、食べ物が貧しかったため、ビタミン不足で口の端がよく切れて血が出ていたといいます。一時期アヒル口が流行ったとき、菅野のアヒル口も人気が高かったのですが、そんな菅野が口の端から血を出していたとは…」(芸能ライター)

優木まおみ
東京学芸大卒のインテリで、「エロかしこい」タレントとしてブレークした優木まおみ(31)。’09年に出演したラジオ番組で、自身の貧乏ぶりを告白したことがある。

「佐賀の実家の中華料理店で、ドテラを着て厨房に立っていたそうです。オシャレには無頓着で、普段着はフリース。実家はお金がなく、その日暮らしだったので、大学も私立は受けられなかったようです」(芸能ライター)

優木が売れた今では、実家の中華料理店内に優木のグラビアが飾られているのはもちろん、「まおみ定食」(唐揚げの甘酢がけ)をメニューに載せ、優木の生写真も販売されているとか。まさに孝行娘だ。

熊切あさ美
以前、ガケっぷちアイドルとして活躍した熊切あさ美(30)。
一時期、事務所移籍などでごたつき、露出が減ったが、昨年6月の誕生日に「くまきりあさ美」から本名に戻し、地道に活動している。そんな彼女は、アイドルグループ「チェキっ娘」解散後、仕事のない時期の苦労をテレビ番組でこう語ったことがある。

「マネジャーなしで月給は4万5000円。たまに入る仕事には1人で行き、控え室にあるお菓子や弁当を全部持って帰って飢えをしのいだそうです」(芸能ライター)

当時、付き合っていた男にフラれ、引きこもりになったあげく、彼女は仙台で住み込みのキャバ嬢に。

「すぐにナンバーワンになり、客と結婚したほうがいいかもしれないと考えたりしたようですが、結局、当時の所属事務所にばれ、二重契約になるからと連れ戻されました。

島田紳助に相談し、『お前は失うものはない。いくつかチャンスをあげるから芸能界で頑張ったら』とアドバイスされ、芸能活動を継続。日テレ系『踊る!?さんま御殿』出演を機に、ガケっぷちアイドルとして脚光を浴びるようになったのです」(同)

水樹奈々
NHK紅白歌合戦に2年連続出場を果たした、人気声優アーティスト・水樹奈々(31)。昨年発売した初の自叙伝「深愛」で、苦難の日々を綴っている。

水樹の父は、自身が果たせなかった演歌歌手の夢を彼女に託し、幼い頃から歌の猛特訓。中2で東京の芸能事務所にスカウトされ、中3で地元のカラオケ大会に優勝したのを機に愛媛から上京、堀越学園の芸能コースに在学する。

「同級生には堂本剛、ともさかりえがいました。仕事のない水樹は収入がなく、生活費は仕送りのわずか3万円のみ。

これで定期代、文具代、昼食代など、すべてを賄わなければならなかったんです。そのため、学校指定の靴下をつぎはぎにして履いていたそうです」(女性誌記者)

宇都宮まき
大食い、貧乏の女王として知られる美人お笑い芸人・宇都宮まき(29)は、’08年発売のエッセー集「六畳一間のシンデレラ」やテレビ番組などで6人家族、6畳一間の極貧生活について語っている。

赤ちゃんのころ、ベビーベッドではなく、押入れで育てられたという彼女の貧乏エピソードは数多い。

・ノドが乾くと公園のツツジの蜜を吸っていた。花壇全部吸い尽くしたこともあり「まきちゃん歩くところにツツジなし」と言われた。
・高校時代の弁当は白いごはんにミカンだった。
・一家のご馳走は「大根おろし鍋」。これは大根おろしを煮込み、味噌とネギを加えたもの。
・誕生ケーキは、食パンを牛乳に浸してロウソクを立てたものだった。

エッセー本の発売記念イベントで宇都宮は「人に言われるまで貧乏だと気付かなかった。悲観的にならずに、いいように考えたほうが絶対にいい。貧乏って、気の持ちようで何とでもなると思う」と語った。

芸能界で生き抜くためには、人並み外れた前向きさが必要のようだ。[週間実話]

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コメント

  1. 1
    名無しさん 2011/03/22 23:44

    自分はこんなに苦労したって語る奴嫌い、安室も苦労してるけど自分では言わないよな

  2. 2
    名無しさん 2011/03/23 14:30

    家が貧乏で苦労したのは、かわいそうだけど、仕事がなくて貧乏なのは自分のせいだろ!一緒にするな!

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