SPORTS

HEADLINE

【鹿島】元日本代表・内田篤人が引退 W杯と負傷に翻弄され…果たせなかったハリルとの約束

鹿島は20日、元日本代表のDF内田篤人(32)が現役引退すると発表した。23日のリーグG大阪戦(カシマ)がラストマッチとなる。

2015年に右膝の手術を受け、約1年9か月ピッチから遠ざかり、その後はリハビリと復帰を繰り返していた。

今季はリーグ戦1試合、ルヴァン杯1試合の出場にとどまり、契約途中でありながら、14年半の現役にピリオドを打つことを鹿島に伝えた。

内田は2006年に清水東高から鹿島に加入。1年目の開幕戦でスタメンに抜てきされると、スピードと判断力を武器に主力に定着。07~09年の鹿島のJリーグ3連覇に貢献した。

10年にドイツ1部シャルケへ完全移籍し、主力右サイドバックとして活躍した。10~11年欧州チャンピオンズリーグでは、日本人としては奥寺康彦(ケルン)に並ぶ4強入りを果たした。


シャルケ時代でもレギュラーとして活躍した内田

08年には北京五輪代表に選出され、A代表でも08年1月の国際親善試合チリ戦で19歳305日の若さでデビュー。10年南アフリカW杯、14年ブラジルW杯でメンバーに選ばれた。

特に、チームが1次リーグ敗退したブラジルW杯で見せた闘志あふれるプレーは、海外メディアからも高い評価を受けるなど、サッカー人生のハイライトの一つに挙げられる。

14年半の間に、ドイツ1部で104試合、J1で147試合、日本代表で74試合に出場した。

前線に上がってクロスのイメージが強かった日本のサイドバック像。内田は、技術の高さと判断力でゲームメークに参加し、中盤で攻撃の起点にもなった。

今では当たり前だが、日本では走りのような存在だった。23日のG大阪戦が見納めになる。

[via:スポーツ報知]
https://news.livedoor.com/article/detail/18763873/

W杯と負傷に翻弄された内田

内田篤人が32歳の若さで引退を決断した。

2006年に清水東高から鹿島に加入後、14年半年に渡ったプロ生活。内田が振り返って「つらかった」ということはあっても、さなかで弱音を吐くことはなかった。

ブラジルW杯前に2014年に右ひざを負傷し、15年に手術を受けたあとはけがとの戦い。約1年9か月試合から遠ざかる時期もあり、リハビリと復帰を繰り返してきた。

顔を合わせれば、必ず状態の話になった。「また、やっちゃった」と太ももの肉離れを伝えられ、うなずいていると「この繰り返しだから。付き合っていくしかないよね」と続けるまでが、あいさつの1セット。

それほどけがが多く、結局「順調」や「状態が良い」という言葉は1度も聞くことがなかったが、弱音も聞いたことがなかった。

果たせなかったハリルとの約束

支えていたのは、日本代表のバヒド・ハリルホジッチ元監督から送られた言葉だったように思う。18年ロシアW杯イヤーの前年、同監督からけがで苦しむ内田に、関係者を通じてメッセージが届けられた。

「来年6月、ピッチに立つことさえできれば、W杯に選ぶ。ピッチに立てる状態でいてくれたら」

レギュラー落ちした10年南アW杯。力を出し切ったが、勝てなかったブラジルW杯を経験した。ロシアW杯で「今度はチームを勝たせられる選手になって」と期した矢先、ひざに不具合が出て、人生が大きく変わった。

またやるんじゃないか、と怖くて走れない中でも、内田の中では大きな目標となった。18年1月の鹿島復帰も監督の言葉を信じ、ロシアW杯に出るための最後の一手だった。

結局、メンバー発表直前で、もはや何度目か分からない肉離れを再発し、自身3度目のW杯出場は幻に終わった。

初めてのW杯で試合に出られない悔しさがあったからこそ、ブラジルW杯で無理をしたのかもしれない。それでも、3度目のW杯があったから苦しい時期を耐えられた。W杯に翻弄されたとも言えるが、W杯で生かされたとも見える。

かつて「30歳を過ぎたくらいで引退できれば。まだ必要とされる力を持っている状態で」と話していた内田。状態面が大きく影響しているとは言え、32歳、早すぎる幕引きとなった。

[via:スポーツ報知]
https://news.livedoor.com/article/detail/18763872/

内田篤人 プロフィール
(うちだ・あつと)
1988年(昭63)3月27日、静岡県生まれ。清水東高から06年に鹿島入り。07~09年のJ1の3連覇などに貢献。
10年夏にドイツのシャルケへ移籍。10-11年シーズンに、欧州CL4強入りも果たした。
ウニオン・ベルリンを経て、18年に鹿島復帰。
日本代表では国際Aマッチ74試合出場2得点。
W杯は10年南アフリカ大会と、14年ブラジル大会の日本代表で、14年は1次リーグ全3試合に出場した。
ポジションはDFで右サイドバックで活躍。
15年5月に結婚を発表し、16年に第1子となる長女が誕生した。愛称ウッチー。176センチ、67キロ。

東北地方太平洋沖地震の被災地へ向けてメッセージ「日本の皆へ。少しでも多くの命が救われますように。共に生きよう!」ドイツ語でも書かれており、スタジアムの大型スクリーンに映し出されると、観衆から大きな拍手が巻き起こった。[2011/03/12]

ネットの反応

・マジかよウッチー
・ずっと怪我との闘いだったな
・筋断裂とか色々大変だったねぇ
・ショックやー怪我さえなければの一人やなぁ
・イケメンで人気もあったのに怪我に泣かされた人だよね
・膝が限界か お疲れ様
・やっぱどのスポーツでも膝ぶっ壊れたらダメなんだな。
・32で引退は最近だとかなり短命だな
・ブラジル大会出るために無理したのがなぁ…
・代表のために大きな代償を払ったな
・膝は消耗品。ちゃんと休まないと短命になっちまう。
・5年前くらいから実質引退みたいな状態だったよなぁ
・引き際引っ張り過ぎたな
・シャルケサポも悲しんでる
・シャルケでは普通に通用してた
・リーグ戦では無難だけどカップ戦になると戦闘力を上げるんだよな
・ブラジルWCでは間違いなく日本のMVPだったわ あの膝でよくやったよ
・代表戦でのウッチーにはたのしませてもらった。松木さんのウッチーへの叱咤激励が懐かしいわ「内田も来い!内田も!」
 >なぜか内田だけに厳しいw
・爽やかなマスクに隠れた熱すぎる闘志はまさに鹿島育ちって感じだった
・もし怪我しなければ長谷部の後に代表のキャプテンになってほしかった
・指導者に転身か、若しくは鹿島のフロント入りか
・監督やってくれ
・面白い人だからこの先のキャリアも楽しみだよ
・お疲れ様 楽しかったよ ありがとう

関連商品

コメントする

関連記事

このカテゴリの最新記事